まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 いつでも人を呼べる家

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

「今から会社の人を連れて帰るけどいい?」

夫からの連絡でうたた寝から目を覚ましました。

魚釣りの帰りということで、うちで釣った魚を捌いてあげるらしい。

 

という事は、玄関先じゃなく、リビングキッチンまでのルートを確認しないと!

 

まずは、玄関。

玄関を外から眺めて、目につくのはやはり出しっ放しの靴たち。

スリッポン以外は、片付ける。

そして、掃き掃除。この際、頂いたジャガイモと玉ねぎはオブジェとしておく。

そして、廊下に。

スリッパはないが、靴下で上がってもらおう。その靴下が汚れていても、後で拭けばいいからOK。

それでも、ホコリが落ちてるのはいただけないので、モップをかける。

廊下も引き続きモップをかける。

そして、リビングキッチン。

ウチは全ての部屋が引き戸のため、段差がない。

それに同じ床板で統一されているので、モップが活躍する。

テーブルの下、キッチンの床全部モップ。

あとは、魚をさばく時にひく新聞紙、出刃包丁、内臓とウロコを入れるビニール袋。

さばいた魚を入れるジップロック袋とクーラーバックも用意しておこう。

ここまで15分程度。

夫が帰ってくるのは1時間後と計算し、余裕でした(笑)

 

これは、毎日おかあさんがモップがけをしてくれている。

玄関の靴もシューズボックスに片付けるスペースはある。

出してあるのは、普段履きのスリッパくらい。

各部屋のドアは閉めておけばいい。

 

今回は、夫の会社の人(男性)であり、用事も分かっていたので、そのルートだけの確認で事は足りました。

人が寄る時には、通す部屋までの動線が確保されていることが一番大切だと思います。
イレギュラーな動線ではなく、いつもの動線。
そのルートに対して、もう一度見直す時間があれば、人が来ても大丈夫なんじゃないかと思います。

 

そうとはいえ、ウチは手放せないおかあさんがいるので、簡単に断捨離できるかと言えばそうでもない。

息子である夫は断捨離を敢行したいようだけれど、それをするとおかあさんが壊れてしまうと思うのです。0か100かの両極端になることで作業がはかどる気はします。

けれど、手放す作業に入るまでが人それぞれだから、出来るだけおかあさんの意思を優先させたい。

モノを持つということがおかあさんの人生の中でどんな位置にあるのだろうと考えると、いくら家族でも手を出す、口を出すという事はとても難しくも思えます。

 

失うことが怖い原因はなんだろうと考えて、その原因を取り除くことが出来れば、片付けも進む そんな気がします。

LO的 指名された後、チェンジは出来る

 

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

毎回義理ママの話なので、今日は実ママの話でも・・・

 

自分が出来なかったことを娘に託し、実力が伴わないこと子供に練習しろといい、なんでできないのかと問われる。

私が子供のころ、そんな母親が多かった気がします。

実家は自営業だったこともあり、お迎えも発表会も一生懸命してくれました。

子供ながらに、決して上手でない自分に対してそこまで頑張る母親に申し訳なかった。

そして、その一生懸命さが恥ずかしかった。

実ママの愛が重すぎた・・・

 

実ママは乳がんでした・・・というのも、もう30年になりますが、再発はしていないので、過去形とさせていただいております。全摘出だったので、転移もなかったのかもしれません。

そのころ、学生だった私は実家を出て、寮に入っていました。

年末前の冬休みに帰ると、実ママが入院していると実パパが迎えに来てくれたのです。

へぇ・・・なに?  「乳がん?」「もう手術は終わってる!」

寝耳に水でした。

子供に心配かけたくないと、私が帰ってくるまで内緒にしていたというのです。

妹は実家暮らしでしたが、今のようにラインもないし、寮にいる私に自宅の電話から妹が電話をしてくるわけではない・・・そんな時代です。

今、自分が何らかの病気で入院することになった場合、やはり最初は言わないし、言わないで欲しいと夫に頼むような気がします。

今なら実ママの気持ちがわかりますが、あの頃は「無理を押し切って出ていった私のことが嫌いだから手術のことを話してくれなかったんだ」と思っていました。

妹も第二次反抗期だったこともあり、実ママには家の中には味方がいなかった。

 

でも、私は実ママのプレッシャーを受け止められなかった。

受け止められなかったから、負い目を感じたのだろうし、その反動でその時に出来る精一杯の反抗をしていた。

さすがに今は話せますが、当時は全然このことに自分から触れられませんでした。自分の負い目まで話さなくてはいけないので、出来るだけ避けてきたのです。

実ママも抗ガン治療中は色々と精神的にも肉体的にも苦しい局面があり、それ支えたのは父であり、姑である祖母だったようです。


嫁姑の関係はとても難しいものです。

お互いに若く、自分のことは自分で出来るもの同士、タイミングの違いからイライラすることも多かったのだと今なら納得できます。
そのため、どうしても、いがみあうというより、変な空気になってしまうこともしばしばありました。

私にとっては、母と祖母。
実ママにとっては娘。
姑にとっては孫。

私は二人の間でお互いの機嫌を損なわないように調整することであるかのようにふるまっていました。

それが長女である私の使命だとおもったからです。
自分だけの問題ではなく、家庭内の問題だったからです。

 

嫁と姑は永遠に他人・・・

 

実ママの言葉が今の私の同居するにあたっての指標です。
夫(息子)を介して、赤の他人同士が一つ屋根の下に暮らす。
これが「同居」です。
だからこそ、他人と共有できない違和感を抱えて、毎日の生活を送る。
それを調整する。
「調整」こそが、「チェンジ」です。
三世代同居を経験したからこそ、今夫の母親と妹と同居しても、「チェンジ」してストレスを溜めずにいられるのかもしれません。

親も子供もご指名はできませんが、お互いに調整することは出来る。

子供は、親との関係を調整する。
親は、子供との関係を調整する。

お互いに気持ちを調整し、相手との距離を調整することで、その時々の適正な距離を保てるようになると思います。

 

LO的 人生の最期について考える

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

今回は、葬儀の話。

 

義理ママは80歳手前。そして、妙齢となった兄弟姉妹たち。

 

 

 

義理ママの弟さん(独身、長男)が亡くなりました。

姉妹弟はいますが、長男であっても、自分が亡くなるときのことを全く考えていなかったと思います。とはいえ、そんなものです。どれだけの人が自分が死んだ後のことまで心配して過ごしているか・・・

それでも、本家の長男。

最終的にはそんな思いも兄弟の中ではあったと思います。

 

今回は、家での葬儀をせずに、葬儀会場での「家族葬」となりました。

お通夜の晩にはいろいろと兄弟で話し合ったのだと聞いています。

年齢を重ねからこそ、相手を慈しむのは、私の幻想だったようです。

長男であっても、独身ということで、喪主は次男がすることになりました。

ただし、式を仕切るのは長女。

そして、車の運転が出来る妹と最年少の妹が何かと動いて、今回の式となりました。

家族葬」で見送ることになったようでした。

 

連絡を受けた時に、そう聞いていたら、こちらも行動を考えたのかもしれません。

家族葬とは言われていなかったこともあり、しっかり葬儀に参加するものだと思って慌てて支度をしました。

でも、甥と姪は式には必要がなかったようで、私たちが駆け付けると、出迎えてはくれましたが、帰った後にひと悶着あったらしいのです。

そして、葬儀の間中、妹達の言っていた「恥ずかしいお葬式」という言葉。

色々と考えさせられた出来事でした。

さすがに義理ママに直接ぶつけてくることはありませんでしたが、何かしら言葉を投げかけられたようで、後日その話を聞かされて、義理ママに申し訳なかったなぁ・・・と思ったくらいです。

 

家族葬と考えていたと言われたけれど、どこまでが家族葬なのか?

亡くなったことを知らせるにあたって、どんな式をするから、こうしてほしいと伝えられるか?

実際、夫の父親が亡くなったときには、まだ「家族葬」が一般的ではなく、どちらかといえば、義父の会社関係の人たちにも連絡し、夫の会社に連絡し、なんとなく誰のためのお葬式なんだ?というスタイルとなってしまいました。

10年以上も入院していた義理の父のことを考えると、知り合いに知らせるのは当たり前ではありますが、身内だけでよかったのかもしれない・・・とも考えるのです。

ただ、亡くなったのは義父であって、その葬儀をするのは残った私たち。

そのころから、「お葬式」に対して、夫とも、実家の父母や妹とも話す機会が増えました。

家族葬」にするとしたら、どこまで?

甥っ子、姪っ子は家族葬に参列することも許されないのか?

 

葬儀には出ずとも、お参りだけさせてもらうことも許されないのか?

姉妹弟が自分たちのできる範囲で見送るのが、家族葬のいいところであり、それがニーズにマッチしていると思います。

逆に、葬儀は立派でなくてはいけないという考え方も悪いとは思いません。

ただ、身の丈に合ったことをすればいい。

夫と私は、お互いにそう思っています。

 

とはいえ、実家の父と母が意外と計画的なのに、私自身は行き当たりばったり。

夫も考えていはいますが、口に出さないので、わたしにはさっぱり。

ただ、それでは残された周りにやっぱり迷惑をかけるほうが多い・・・と思い、自らを反省した出来事です。

本人は満足でも、残された人はこれからも生活が続くからです。

だからこそ、いろんな手続きなんかは出来るだけない方がいい。

手を煩わせたくないと思ってしまうのです。

 

子供のいない私たちは、お互いにどちらかが先に逝くことになれば、必ずもう一人が見届けなくてはいけません。

出来れば、夫に私を見送って欲しくはないなぁと思います。

夫を見送って、私も逝きたい。

夫をこの世で一人にしたくはないのです。

出来ることなら、夫と私が夫婦でいる間に、夫には逝ってほしい。

ダメだった時のために、「エンディングノート」と「遺言状」を書いておく。

ライフオーガナイザーになって、自分の目標の一つになりました。

自分自身のライフを充実させるためにも、家族のライススタイルを考えるときにも、自分がどうしたいのか、どうなっていたらいいのか?

考えると、そこに行きつくわけです。

自分もいつかは誰かを看取る日がくる。

考えさせられる出来事でした。

LO的 情けは人のためならず

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

個人的には、誰かのために・・・と思うことは悪くないと思います。

でも、「~してあげる」というのは、少しナルシストっぽくて嫌なのです。

「誰か」のために「何か」をする自分に幸福を感じる。

それで自分のモチベーションが上がり、幸せを感じるのはいいことだと思いますが、返しを要求したり、「あなたのためを思って」という精神では、「誰か」や「あなた」の負担になってしまう。

私がこうしたんだから、こうしてもらえないのは不条理・・・という気持ちは理解できないでいる。

私の気持ちと同じだけ返してほしい・・・と思う人。

自分の感情をぶつけて、受け止めてもらって当たり前だと思っている人。

自分の価値観は正しいと思っている人。

もちろん、自分の価値観はあって当然だと思うけれど、それを自分でない人に同意させるのは簡単なことではないし、返されなかったからといって腹立たしいと思うものでもない。

思いは「色」も「形」も見えなくて、それでもどこかで同じだと思いたい。

ただ、相手も自由に考えている。

お互いに否定されるのは面白くない。

同じ感情でも、相手の温度は見えないし、確認のしようがない。

せめて、私の思いが誰かを助けているといいなぁ・・・あたりで思いを止めておけばいいと思っているのです。

 

人の気持ちは本人でもわからないときがあるし同じ体験をしても、その時その時で思いも変わってきます。

だから、私は「嫌い」とは使わないことにしています。

「苦手」と相手に伝える。

個人のことよりも、「ここが苦手」と伝えることで、相手に伝わるからかもしれません。

相手の一部分をみて「嫌い」というのはなんだかおこがましく、「ここが苦手」と相手に伝えられることで、その人を、そのモノを遠ざけずにいられるような気がします。

きっと「嫌い」という言葉にトラウマがあるのかもしれません。

言葉は口に出すと「言霊」となり、呪詛にもなります。

だからこそ、自ら発する責任があり、怖くて離せなくなる時もありました。

今は、自分の言葉に敏感でいようと思っています。

「誰かのために」も同じです。

「誰かのための情け」が回り回って、自分に戻ってくる。

そんな意味がある「情けは人のためならず」

自分に返ってくることを考えて何かをするわけではないけれど、誰かを思うことで、自分のことも思ってくれる誰かがいる・・・そう思うと、心が安らぐものです。

 

LO的 片づけとモチベーション

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 毎年5月と6月はモチベーションがアップします。

というのも、ライフオーガナイザーのチャリティイベントがあり、年に一度のイベントにスタッフとして参加しているからです。

 

自分でも勝手だなぁと思いますが、ライフオーガナイザーと名乗っていても、家が眩しいくらいに綺麗なわけでもないし、片付いた部屋に住んでいるわけでもありません。

日々、どうすればいいかを模索しているライフオーガナイザーなのです。

ただ思うのは、片づけたいと思うモチベーションこそが、私には一番薬。

片づけたいなぁと思っているだけでは、片付きません。

何かしたいなぁと思っているだけでは、何も始まりません。

片づけるという行動を自らが起こす。

本来は、目標を見据え、その目標に向かって計画し、実行していくことがライフオーガナイザー的というべきですが、私は目標を立てて、計画した段階でいったんストップがかかってしまいます。

すると、そこで「片付いた」感が80%になり、「あとは片付けるだけ・・・」という気持ちになってしまうことで、モチベーションが一気に下降します。

すると、目標と方法で手が止まり、気持ちが止まります。

前はそんな自分が嫌でした。

でも、今ではそれも「私」なのだと思えるようになり、モチベーションを無理に上げたりすることもなくなりました。

自分自身のことでもあり、モチベーションの上げ方はそれなりに分かっています。

ただ、いつでも上げればいいというものではなく、自分なりにどこかスイッチを上げるタイミングを計っている。

そう思うと、目標と計画を立てるところまでできていれば、安心だな。

なんて思えるようになりました。

インテリアや間取りなどはあまり気にする方ではないので、あるべき場所にあるべきものが収まっていることが私の中の片づけルールになります。

そのため、日々たまる紙類が一番の敵になります。

貯めるものではなく、溜まるもの。

そして、大概が早くに不要となります。

レシートはその日のうちに、もしくは次の日の朝にゴミ箱へ。

銀行引き落とし連絡は、引き落とし日の前にゴミ箱へ。

そんな風に、溜まらないようにすることは片付けの計画ではなく、ルーティンに含まれるようになりました。

最初はルールにのっとって、モチベーションが上がるまで片付かなかったもの。

それをルーティン化まで落とし込むことで、溜まる書類が少しずつ減っていく。

癖付けです。

癖にするには、3週間ばかり必要になる。

三日坊主とよく言いますが、三日すぎると一週間目に満足してやめてしまうことがあります。

ですから、三日継続した、一週間継続した、10日経った、いつの間にか15日になり、20日が経過した。

こんな風になって初めて、それをしないと落ち着かない・・・なんていう気持ちになる。

私はそれをお金のオーガナイズをすることで始めて、今でも続いています。

週末は溜まるレシートも月曜日の朝にはすっきりしている。

溜めてしまうのも自分だし、すっきりするのも自分。

自分だけで完結できるからこそ、続いているような気がします。

 

自信になったというのは少しおこがましいけれど、大々的に片付けたいとおもうモチベーションとは違う次元で、気持ちよく過ごしたいと思うためのルーティンを増やすことで、片づけが大きなイベントではなく、小さなイベントの積み重ねとなるのだと思います。

片づけって大層なものじゃありません。

そう思っていただいて、身の回りがちょっと変わったら、自分で褒める。

褒めてくれる相手がいなかったら、私に連絡してください。

褒めますよ!!