まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 更年期でいいでしょうか?

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

ここ数年、急に体調が不良になったりすることがあります。

それはホルモンのバランス崩れだと思っているのですが、それを別名「更年期障害」ということになるのだと今は受け止めています。

私はもともと貧血気味でもないし、毎月きっちりと女子の日が来て、特別困ったことはありませんでした。

しいて言うなら、女子の日の前後は腹痛と頭痛に悩まされているくらいでしょう。

それも、鎮痛剤で事足ります。

ただ、年齢を追うごとに痛みの場所が変化しています。

10代は学生として一生懸命だったのか、あまり痛みを覚えていません。

20代になってからでしょうか?

腹痛(胃・下腹部・鳩尾など)や頭痛(耳の後ろ・前頭葉)のため、仕事を休むことも多くなりました。

ただ、休暇はもらえますが、私のように痛みのために休むということを周囲の女子はしていなくて、みんなのことをうらやましいと思いました。

恥ずかしいとも思ったし、自分だけがこんな痛みに耐えるのは不公平だと思っていたのでしょう。

ありがたいことに、上司はお休みを良しとしてくれたし、そのことで嫌味を言うような人はいませんでした。

友人は上司がお休みをくれないと言っていましたから、私はとてもありがたかったです。

それくらい痛みがひどかったからです。

あとひどかったのは、鼻血です。

通勤途中で出てしまい、白いシャツを血に染めたこともありました。

さすがに会社に行くことは出来ず、家に戻り、バスタオルで押さえるというスプラッターのような出来事も多かったです。

それでも貧血はなく、健康的すぎました。

献血も出来ていました。

それが30代になると、腹痛(胃・下腹部・鳩尾など)や頭痛(耳の後ろ・前頭葉)の痛みの場所は変わりませんが、期間が長くなりました。

そして、タイミングが変わってきました。

始まる前は頭痛、始まったら腹痛、終わった後は頭痛。

痛みのないのは1週間程度。

それでも、痛みさえ止めれば、なんともないと思って生活していました。

それが異常だとは思えなかったし、今でも異常であったなぁとは思えません。

それは人それぞれであり、毎年の女性検診では全く異常がなかったからです。

そして、40代、ついに異常が現れました。

といっても、下半身ではなく、上半身です。

半年に一回の検診が始まりましたが、バランスを崩すことなく、毎月女子の日は続きました。

そして、40代半ばになるとそろそろ「更年期」というワードが気になり始めます。

「更年期」はホルモンのバランスを崩すことによっておこるもので、健康な人なら40代後半から始まるであろうことが、現代では30代もしくは20代後半でも「若年性更年期」と診断されることもあります。

現に、友人は30代前半で診断されました。

ただ、彼女は女子の日がランダムだったからだと言われたこともあり、その辺がランダムな方がなりやすいと思ったので、自分はならないと思っていました。

「更年期」の根本は「ホルモンバランス」。

これを知ることで、いろいろな症状を「仕方ないなぁ」と思えるようになりました。

ホルモンバランスは100%自分でコントロールすることはできません。

「ストレス」がいい時も悪い時もあるように、「ホルモン」も自分の意思だけでなく、体の中との相談で行われるものだからです。

サプリを飲んだり、バランスのいい食事にしたり、ストレスを緩和しようとする努力も必要になりますが、最終的には「仕方ないなぁ」と思える余力が必要なのではないかと思うようになりました。

 

余力があるだけで、生活が少しだけ楽になります。

そして、その余力は心の余力でもあるわけです。

ライフオーガナイザーとして、空間の整えのために余力を作るように心がけていましたが、心にも必要なものだと実感しました。

 

「更年期」は「仕方がない」

 

感情の波や体調の波も思ったようにならないことも出てくる年齢。

そんな時に、「仕方ない」と思うためには、「仕方がない」と思えるだけの心のゆとりが必要になるのではないかと思います。

LO的 今日はLO作業をしてきました

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

いつもは義理ママのお話が多いので、LOの作業のお話を・・・

 

私はライフオーガナイザーとしてお仕事をします。

その中でも、「CLO」として作業をすることもあります。

 

「CLO」とは「慢性的に片づけられない人のためのライフオーガナイズ」というものです。

いわゆる「片づけられない人」と言われる部屋をお持ちの人や「ごみ屋敷」と言われてしまう家をお持ちの方に対してオーガナイズ作業を実施するということです。

 

本日はそんな方の片づけ作業をお手伝いに行ってきました。

いわゆる「ホーダー」という部類に入る方の家です。

ため込み過ぎて、家の中に入れず、やむ終えず家の外で生活をしている方。

その方は自分のため込み癖を理解しているけれど、気持ちがどうしても手放す方向にいかない方でした。

それでもそこに通い続けて、2年が経ちました。

少しずつ、行ったり来たりを繰り返しながらも、前に進んでいます。

 

一挙に片づけるのは簡単で、そこに本人の意思は存在しません。

でもため込むという意識がないまま、ものを撤去されても同じことを繰り返します。

繰り返すことに罪悪感はないからです。

だからこそ、ため込むことでどうなるのか?どうすればいいのか?を自分で考えて行動していくことのお手伝いをするのが「CLO」というプロになります。

 

家に入れないくらいになるにはどれくらいかかるのだろうと思いがちですが、本人曰く「いつの間にか」だそうです。

確かに、ちょい置きを繰り返すうちに部屋にものがあふれ、廊下にものがあふれ、玄関にものがあふれ、という具合になっていくことも多々あります。

ただ、作業したお宅はちょっと違っていて、玄関先に置いてしまったが故に、家に入れなくなったのでしょう。

そして、それは莫大な数の「アルミ缶」。

お金に代わる「資源」でもあるのです。

ただ捨てればいいというものではなく、だからと言ってため込んでいいいというものでもない。

本人もそのことに気付いているけれど、なぜか「アルミ缶」をため込んでしまう。

悪循環が悪循環を生み出す。

生活環境も生活サイクルも乱れるし、周囲も困ることになります。

そして、あらぬ誤解を招くことにもなるのです。

 

その方は長くソコに住んでいることもあり、自分も周りを知っています。

だからこそ、あらぬ誤解はしてほしくないし、させたくない。

色眼鏡で見る人も多いかもしれないけれど、本人が片づけたいと思う気持ちを萎えさせてはいけない。

少しでも周りの人に「片づけたいと思っているし、片づけようとしている」ということを知ってほしいと思うのです。

それがその人にとって、前向きになれる後押しになるからです。

一緒に片づけるのは、私たち「CLO」がご一緒します。

でも、暮らしていくのは本人。

片付いた後にしこりが残るようでは、やはりストレスからリバウンドしてしまうことだってあるかもしれません。

片づけた以上、そこを維持するためにも、周りの視線は冷たいよりも暖かい方がいい。

その方のために「CLO」として出来ることは、片づけることの仕組みを一緒に考えて、一緒に行う。

そして、それがその人が続けていくためにどうするかを考える。

 

「仕組化」つくりのプロとして、サポートしてくことです。

LO的 毎年恒例の・・・

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

ここ数年、10月から始めた仕事を大体9月末で終了し、新しい仕事を探すことが多くなりました。

なぜかといえば、10月、11月に義理ママの役所書類が多いことでしょうか?

仕事を続けていてもお休みは取れるので問題ないのですが、プロジェクトごとの仕事をしていることもあり、大体1年で仕事が一回りします。

すると、次に同じことをするのか・・・と思うと、ついつい契約を満了にしてしまう。

そんな自分の性格もあり、正社員としてでなく、派遣社員としてお仕事をしています。

楽な仕事っぷりだなぁと自分でも思ってしまうくらいですが・・・

 

そんな中で、毎年恒例は介護認定の書類。

 

毎年毎年、少しずつできなくなってくることが増えている気もするけれど、まだまだ動いていただきたいと思っているので、無理をさせていることもあるかもしれません。

ただ、出来ないからしない・・・

これは体にも頭にも悪い影響しかありません。

出来ることだけしてもらいたいし、したいと思ってもらいたい。

義理ママは左半身のマヒが年々強くなっているような気もしますが、まだ動かそうとしてくれています。

無理はしてほしくはないけれど、出来ないとやめてしまうようでも困るわけです。

介護保険のアンケートをいつも義理ママにインタビュー形式で確認するのですが、下の話や、言いたくないこともあると思います。

その辺をうまく聞き出すためにどうすればいいか。。。

認定は低い方がいいと思いますが、本人のできないことをできると言ってしまうのも違うなぁと思うからです。

出来ないことはできない、してしまったことは仕方がない。

開き直られても困りますが、やはり事実を隠されるのも怖いものです。

 

今回、訪問薬局(薬箱置き)を停止しました。

というのも、健康に人一倍敏感な義理ママは夏場の熱中症対策として、薬局から飲み物を購入しました。

毎年買っているものではありましたが、今回は全額支払いをしていなくて、その分を支払ってほしいとの連絡が入ったのがきっかけです。

半年前のことを忘れてしまっているようで、飲み切ってしまったので現物はないにもかかわらず、探し続けたのです。

これは、ほかにも健康のためと言われたら、購入してしまうかもしれない。

それに、購入しても義理ママには支払い能力はない。

誰かがそれを支払わなければならない。

考えて、おき薬をやめました。

 

持病の糖尿がある以上、市販品とはいえ薬を重複して飲むのはあまりお勧めできません。それに、飲んでいいかを私たちでは判断できません。

 

夫は風邪薬一つでも、糖尿の薬との関係もあるとして、必ず医者に行ってもらうようにしています。

義理ママも体調が悪いとすぐにかかりつけに行くので、あまり置き薬を使うことはありません。

なので、どちらかといえば、訪問してもらって義理ママが倒れたりしないかを見てもらう・・・という考え方でいました。

ですが、今回の件で、義理ママが購入したことも忘れてしまう。そして、その購入代金が意外と高額である。そして義理ママは払う能力がない。

これらを考えると、薬箱をお返しして、義理ママの薬はかかりつけに見てもらう。これが一番いい気がしたのです。

高齢になれば、あちこち痛くなるし、いろいろ支障をきたすことも多くなります。

足が痛い、手が痛い、どんな痛みでもシップを張るし、腹が痛いとなれば、なんでも置き薬を飲む。

それは自分の自己満足であり、治療ではありません。

現に手足の痛みはシップでは解決できない時だってあるし、腹が痛いのは胃なのか腸なのかでも治療は異なってくるでしょう。

昔からそうだったから。。。

これが一番危ない。

年齢を重ねた分だけ、不調は複雑になるものです。

 

毎年、介護申請の時期になると、昨年の義理ママを思い出し、今年の義理ママと比較します。

だんだん悪くなるのは仕方がないことです。

でも、それを隠されることが一番怖い。

 

出来なくもいい。

出来なくて当たり前。

そう思っても本人としては出来たいと思うだろうし、出来ないことで落ち込むこともあるでしょう。

 

だから、出来なくてもいいとは本人に言いません。

出来たところまでを完成として受け止める。

 

今の私に出来ることはそれだけなのかもしれません。

LO的 結婚式を終えて

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

以前の記事にかいた結婚式が無事に終わりました。

洋服では悩みましたが、式はとても良いお式でした。

親戚だけの式だったこともあり、つつがなく終わったことが何よりです。

 

そして、二次会が行われたことは驚きでした。

 

と言っても、ご両親もホッとして、ウチで二次会開催となりました。

次の日がお休みでなかったら正直困ったなぁ〜と思ったかも知れませんが、私はフリーのため、ばしょを提供させていただきました。

 

夫が、「嫁さんの実家に来てくれて寛いでくれるのはは嬉しいと言っていました

確かに世の旦那様たちの中には奥さんの実家が苦手な方も多くいるので、そういう意味で嬉しいなぁと私も思いました。

 

とはいえ、人が来る💦

 

リビングダイニングを片付けて、慌てましたよ(笑)

いつでも人を呼べる家会員としては申し訳ないほどの片付けレベル。

 

でも総勢17人‼︎

さすがに計算外のことでした(笑)

 

今度は、ちゃんと呼べるように片付けとプランを練っておかなくてはいけないと心に決めた出来事でした。

 

ライフオーガナイザーとしてというよりも、行ってもいいと思ってもらえる場所にしたいと思いました。

そのためには、おもてなしとして着飾る以前に、基本的な整理整頓や収納からの見直し。

自分のためでもあり、家族のためでもある整え。

もう一度立ち返りたいと思います。

LO的 年齢とクローゼット

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

いまでこそ、シンプルなものが好まれるけれど、シンプル過ぎれば、オフィスファッションのようにもなってしまう。

そんな風に思ってしまう年代なのかもしれません。

 

親戚が結婚することになり、お祝いの席に招待されました。

昨今のウエディング事情から、レストランウエディングと聞き、「平服」での参加をお願いされました。

祝い事は目出度い事として受け止めています。

でも、こんなとき悩むものです。

友人ならば、招待された友人に相談することも出来ます。

私が友人として招待された結婚式はバブル期真っ只中ということもあり、お色直しが4度、とか、花嫁さんが籠に乗って登場(ゴンドラではなく、江戸時代のあの籠です)など、伝説化されている催し物でした。

今では、式を挙げる友人はいないし、結婚のご報告があとではがきでやってくるということも多くなりました。

そんな中での「披露宴」へのご招待。

ありがたいのですが、何を着ていいやら・・・

私は嫁である以上、華やかさは求められていないし、どちらかといえば夫と義理ママの付き添い的なものです。

でも、上下黒でもいけないような気がするし、キラキラはさすがに年齢を考えます。

それにワンピースの世代でもないし、カラーも気になるところです。

といった具合に、考えれば考えるほど悩んでしまいました。

そして最大の悩み・・・

 

「お母さんの親戚の恰好・・・」と言われないかという心配です。

今回、義姉の息子が結婚式を挙げるのです。

義姉にも申し訳ない恰好をするわけにはいかない。

 

こんな悩みを夫にしても、きっと同じように考えてはくれないと思います。

それが当たり前だし、それでいいのです。

だから悩みはショップのおねえさんと分かち合いました。

 

自分よりも20歳近く下であろうショップのおねえさんは一生懸命考えてくれました。

そして、一生懸命ほめてくれました。

ほめるのはショップのおねえさんだからではありますが、一瞬の顔の表情には素が出ます。

それに、似合わないものを勧めてくるようなおねえさんは最初から無理なものを勧めてくるものです。

本日購入したショップのおねえさんは、最初から私が気にしているであろう箇所を隠せるタイプや、はやりでも割と難しくないタイプをチョイスしてくれました。

 

今回は結婚式というおめでたい席ですが、友人ではありません。

でも、昔のように留袖や訪問着などを着ればいいというわけでもありません。

カクテルドレス(今はもう言わない・・・)やチャイナドレスも違います。

 

難しいものだなぁと思いました。

 

でも、万能なカラーは何年たっても変わらないし、年齢相応のカラーもそう。

なんであの年代はあの色を着るんだろうと思っていた若かりし頃。

今なら分かる。

 

顔色が映える。

体のラインがきれいに見える。

 

とはいえ、平成生まれとは手足が違う。

姪や甥を見るとすごく不思議です。

私の妹から生まれたはずの彼女や彼は手足がものすごく長い。

私も妹もそんなに長くなかったのに。

 

だから、彼女や彼らが私の年齢になった時には、もっと違うスタイルのデザインが主流になるような気がします。

デザインや流行は巡りめぐるというけれど、今の風をきちんと入れてくるものです。

だから、自分たちの時に流行したものがそのまま使えるわけではない。

 

そんな中で、いつまでも使えるもの。

いつまでも自分が着たいと思うもの、使いたいと思うもの。

厳選する目を持ちたいものです。

 

立ち位置に揺れることなく、これさえ着れば大丈夫。

そんなデザインに巡り合いたいと思いました。

とはいえ、買い物は好きだから、定番だけじゃ物足りなくなるのもわかるのですが・・・

 

ライフオーガナイザーとして、思考とクローゼットを整理して、自分の好みと現在の洋服がマッチしているか、衣替えの季節だからこそ、考えたいものです。