LO的 5/30はごみゼロの日です
ライフオーガナイザーのKuraです。
タイトル通り、来月の30日は「ごみゼロの日」。
語呂合わせで覚えやすい日です。
そんな中、毎年恒例の連休明けから全国各地でスタートするのが、オーガナイズの日、チャリティイベント。
中部地区は5/19(土)が静岡会場、5/20(日)が愛知会場です。
北陸地区は5/12(土)に開催で、お近くにお住まいの方。
ぜひ、よろしくお願いします。
このチャリティイベントはもともと東北の震災のために何かできないか?という趣旨で始まりました。
「チャリティイベント」と銘打つのは、このイベントに来てくれた人の参加費は費用を除いてすべて寄付しているからです。
この趣旨は1回目から変わっていなくて、東北だけでなく熊本や被災地への寄付金として毎年届けられています。
毎年参加することで、少しでも被災地の役に立てるのであればいいなぁと思う反面、日本という地震大国にいる以上、自分たちにも起こりえることだと毎年気持ちを引き締めることが出来ます。
被災地の皆さんの少しでも力になれば・・・と思ってはいますが、毎日の生活の中で自分のことで精一杯になることが多くて、中々相手を思いやる気持ちを持ち続けることは難しいと感じています。
ごみゼロの日も同じように毎年このイベントに参加することで思い出す(笑)ことなのかもしれません。
毎日毎日「きれいにしよう」と思うのは大切なことかもしれませんが、そうでない日があってもいいし、こうやって毎年何度か思い出すきっかけをもらうことが出来るイベントが自分のライフスタイルに組み込まれていることで、自分の中で考えるきっかけをもらえるのもいいのかもしれません。
ごみゼロの日というキーワード。
毎年行われる「ライフオーガナイザー チャリティイベント」
ぜひ、思い出してもらえると嬉しいです。
ちなみに今年の愛知会場のワードは
「心豊かに暮らす モノとの付き合い方」
毎年一つは継続できるアイディアをもらえるイベントです。
気になった方はぜひ、お近くのイベント会場まで。
愛知会場は日曜日開催です。
LO的 ちょっと宣伝です
オーガナイザーのKuraです。
今日はちょっと宣伝活動を・・・
ライフオーガナイザーとして活動していますが、各自、得意分野を持っています。
お子さんがいるオーガナイザーは「子育てママ」に向けたオーガナイズを得意とします。もちろん、お子さんの成長に合わせてオーガナイザーも成長します。
あとは、環境に沿ったオーガナイザーもいます。
そんな中で、私は「シニア」と「片づけられない人」向けのライフオーガナイザーです。
ここでも書いているように、同居している義理ママはもう後期高齢者として、保険証は1割請求。
子供がいない大人ばかりの環境ということもあり、全員が40代以上という家族構成から、シニア向けのオーガナイザーとしてお仕事をしています。
また、「ADHDスペシャリスト」として片づけられない人向けのオーガナイザーでもあります。
加齢による体の不自由さから来る片づけられない悩み、発達障害などからくる片づけられない悩みに対するオーガナイザーです。
↓は私のサイトです。
義理ママは毎日同じことを繰り返し、過ごしています。
それが楽しいかどうかなんてのは、義理ママにしかわからないこと。
また、家にいることが好きでいる義理ママを無理にデイサービスに行かせることもなく、プレッシャーを与えることなく、自宅で自分のできる範囲のことをお願いしています。
そんな中で片づけがどうしても合わないことも多くなりますが、義理ママの病状なども考慮して、義理ママの不安にならない整え方などを実践しています。
また、もともと棄てることが苦手な義理ママの性格を受け付いだ義妹。
片づけが出来ないわけではないけれど、偏った感情や偏ったものへの執着など、その辺も理解したうえで、同居を続けるコツや、片づけのコツなどを実践しています。
私自身もなかなか片づけが上手とはいきませんが、大人4人がそれなりの距離感をもってうまく生活していくコツがあると思っています。
同じようなお悩みを持っている人や、高齢者との同居への不安など、ご連絡ください。
自分たちの行く末でもある、高齢になった時の片づけ方など、不安を解消しませんか?
よろしければ、サイトからご連絡ください。
LO的 マクロでミクロ
ライフオーガナイザーのKuraです。
ライフオーガナイザーとは「片づける」+「整える」のプロと言えますが、「片づける」がマクロ的、「整える」がミクロ的と言えるのかもしれません。
例えば、部屋を片付けるというのは、部屋全体を片づけの対象としてみることになります。
もちろん、「引き出しを片付ける」という場合は、「引き出し」が片づけの対象となります。
片づけの対象となるのは、そのくくりの中のよりよく整理するということ。
それは、全体のバランスも考えて、一点集中で片づけるものではありません。
また、「整える」は一つ一つの場所を決めること。
引き出しに鉛筆を終うことは「整える」こと。
もともとあった場所に戻すという「整えルール」で片づけた環境をキープすることが出来る。
部屋というマクロな空間を整えルールというミクロなルールでキープする。
断捨離やミニマリストといったものを減らすこと。
これは、片づけることに意味を持たせ、モチベーションを上げること。
今、流行りの「片づけの極意」と呼ばれるものです。
物を減らす=自分のやったことが見た目で分かる。
片づけることに意味づけること、それは自分にとって必要なものを見極めるということでしょう。
断捨離もミニマリストも、不要とすることで今を見直し、意味づけ、モチベーションUPは必要とすることで、今を見直すということなのかもしれません。
マクロ的という意味では、見た目を俯瞰するし、ミクロ的という意味では、持ち物一つ一つにフォーカスする。
ライフオーガナイザーは、このマクロとミクロの整え方をした後も考えて、キープしていくことも含めて考えるのです。
ライフは「人生」、「生活」という訳をします。
人生がマクロなら、生活はミクロ。
人生は日々の生活のかたまりでもあるからです。
ライフオーガナイザーは自分の生き方、自分の生活を見直す、見返す方法を知るプロ。
そして、その中でもCLOとして活動する私は、どうしても片づけられない人達に向けたサポーターでありたいと思っています。
片づけられないことが自分の人生の中でマイナスに働く人のためのサポートです。
原因は「やる気」や「性格」といったくくりではなく、「障害」というくくりになる人たちのサポートです
ここでいう「障害」は、見た目の障害や持病といった障害ではありません。
「特性」というか「特徴」という形でくくられる「障害」。
だから、自分の特徴を知る、もしくは理解することで、自分にあう整え方ができる。
その提案をするのがCLOなのです。
生活における「整え」がうまくできずに悩んでいるなら、CLOに頼むという手があります。
LO的 片づけについて №03
ライフオーガナイザーのKuraです。
私の中では「片づける」というのは、「片をつける」という意味でもあります。
現状に対して、自分の中のライン上まで「片をつける」。
そして、片手間でそれを行うのが私の「片づける」ということです。
まず「片をつける」というのは、「物事をきちんと処理する」という意味があります。
この場合、部屋をきちんと処理するという意味です。
元あった場所に戻す。
自分の思うイメージ通りに部屋を整える。
それが「片づける」ということ。
毎日、毎回、きちんと部屋が整っていなくてもいいと思います。
思い立った時に、自分のイメージ通りに処理できる手順を整えておく、自分のイメージ通りの場所に配置できる。
「やろう」と思った時に、それが滞りなくできること。
それが私の中での「片づける」です。
あとは「片手間」で片づけるということ。
「片手間」とは、本業のあいまにして済む程度の手間という意味があります。
だから、「やろう」と大々的な気持ちのもとにするのではなく、洗濯機が回っている時間中、料理で煮込み料理をしている時間の中など、メイン作業の合間に済む程度の片づけをちょこちょこと数多く行う。
ただし、そのためには最初の「自分のイメージ通りに処理ができること」がお約束となります。
そうしないと、片手間での片づけが出来なくなるからです。
そう考えると、「大掃除」は疲れるというのは当たり前なのかもしれません。
家全体を片付ける、掃除する、整える。
これらをすべていっぺんに流れで行うわけですからね。
私は「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」をモットーにしています。
№02でも言いましたが、「準備しておくことは、整えておくこと」です。
片手間で片づけを続けることが、私の中で「整える」をキープする手段でもあるのです。
思い立ったが吉日の私には、このやり方が分かりやすい。
普段はざっくりと片手間に片づけておいて、「エイヤー」となった時に、それぞれのルールで整えていく。
そのためには、ざっくりの時に、その後はどうするのかが分かっていないとだめなのかもしれません。
本来は「ここにしまう」というのが最終目的だったとするならば、普段はその一歩手間のところにまとめておく。
そして一気に片を付ける。
大掃除まで引き延ばす必要性はなく、季節の変わり目など、衣替えなど、それぞれにきっかけやタイミングを起こすこと。
「エイヤー」ではありますが、その「エイヤー」のトリガーを色々と仕掛けておくことで、年に一度の「大掃除」まで貯めるなんてことは無くなるものです。
今日は気温も高く、冬物を一掃する時間もありました。
私の中の「エイヤー」が動いた瞬間です。
今日は、春先~夏前の肌寒さ用の綿毛布やベッドカバーなど、着せ替える直前に洗って、冬物をまとめておく。
冬用の毛布やベッドカバーなどは、片づける場所は空けてあるし、どのボックスを使うかも決めている。
次の休日にコインランドリーで洗濯、乾燥させてボックスにしまえば、OK。
コードはクリーニング半額の時にちょっと先走って預けたこともあり、戻ってきてからクローゼットの片づけ位置にかけるだけ。
靴はブーツを片付けて、その分だけ、パンプスやスニーカーをメインに下駄箱を整理する。
こうやって、そのタイミングでするだけの作業を決めておく。
バッグや洋服は季節を問わずに全部を同じ場所に保管することで、片手間片づけの中でほぼ終了可能。
季節ものに流されないことは、基本的に「片手間に片づける」がモットー。
こうやって、自分の中で、普段しておけばいいことと「エイヤー」のタイミングで行うことを決めておく。
それであれば、あちこち考えることもない。
片づけるということは何もきれいに整えるということではないと思います。
使いやすさから考えるという手もあるし、みんなが使うのだからという考え方もありなのです。
「奇麗」は他人からの評価であり、自分のルールのラインでもあります。
インテリアの本のような配置では暮らせない。
本に紹介された人はその暮らし方があっているだろうけれど、自分には合っていないかもしれない。
そう思ったら、自分の暮らし方を見直すきっかけが来ているのかもしれません。
ライフオーガナイザーは相談者に寄り添って、片づけを考えます。
そして、相談者が片づけを楽しんで、キープしていけるようフォローもします。
お安くないサービスかもしれませんが、自分の中のもやもやが解決するかもしれません。
良かったら、こちらでお近くのライフオーガナイザーを検索してみてはいかがですか?
LO的 片づけについて №02
ライフオーガナイザーのKuraです。
今日は大掃除について。
結婚して、家を建ててからは、夫と二人で年末になると玄関や窓、ベランダなどを掃除します。
これを「大掃除」というのであれば、そうかもしれません。
夫は家を建てる前は、まったく掃除に興味もなく、年末年始は家に帰らなかったほど。
それなのに、結婚してからは、12月に入ると「大掃除」のスケジュールを立てるほどの入れ込みようです。
正直私は「大掃除」って好きじゃない。
普段からそれなりに片づけて、掃除していれば、何も年末にだけ掃除しなくてもいいんじゃない?と思ってしまうのです。
私の「大掃除」のイメージは、サザエさんの大掃除。
窓ふきに雑巾がけ、はたきをパタパタ。サザエさんが号令をかけるあの大掃除が「大掃除」のイメージです。
実際、実家は雪が降る地方だったこともあり、雪囲いというものを11月~12月にかけて準備します。
湿気も多くなるこの時期に窓ふきはあまりしませんでした。
窓を開けると雪が入り込んでくるし、何より寒い。
半端なく寒い。
こんな中窓ふきをするなんてことは考えられませんでした。
そして「よそはよそ、うちはうち」が口癖の両親の言葉を受けて、幼いころよりマイルールが培われていたことも要因の一つだったのかもしれません。
大体の母親のいう「よそはよそ、うちはうち」の場合の「うちはうち」は母親のマイルールが適用されるということです。
実家もご多分に漏れず、母親のマイルールがまかり通っていました。
とはいえ、母親の思うように掃除しておけば、文句を言われることはなかったので、その辺はうまくやっていたのかもしれません。
それに母親はある程度整っていれば、大掃除は免除してくれていましたから・・・
整えておかないと、母親のルールの沿って整えられてしまいます。
思春期の子供にとって、机の引き出しや、本棚までも触られることは正直嫌で仕方がありませんでした。
触られないためには、整える。
そう、自分なりに整えておくと、母親が触ったことがすぐにわかる。
思春期の子供のプライバシーを荒らす(笑)母親でしたが、心配ゆえのことだと子供ながらに思っていました。
だから、見られたくないものは身に付ける。
そしてそれを実践するためには、身に付けるものは整えておく必要があるということです。
コンパクトにしておかないと、荷物になるだけで、怪しまれてしまいます。
だからこそ、スマートに隠す術を身に付けました。
また、高校に入ってからは、公共交通機関を使って遊びに行く範囲も広がりました。
出かけるからには自分で調べ物もするし(スマホやインターネットはなかったので)、手配も自分たちでしたこともあり、自分で自分のものを用意するためには準備が必要だということも覚えました。
そして車の免許をとって、また考え方が変わりました。
生き方についてです。
色々を考えを変化させていく中で、「片づけ」がかかわってきました。
整えておけば、出かける時にも慌てずに済みます。
例えば、「これさえあれば大丈夫」というもの。
「これさえ」は自分ひとりで出かけるときなのか、友人と出かける時なのか、家族と出かけるときなのか、その時々で変わってきます。
それでも「これだけ」を決めるルールは決まっていて、当てはめるだけでいい。
準備しておくことは、整えておくこと。
「片づける」ということは、人生に添っているのです。
だからこそ、年末の大掃除が新年を迎えるための行事として根付いているのかもしれませんね。
でも、生きることは決してイベント事ではないと思います。
日々、平穏に暮らすのも人生。
イベントに振り回されない暮らし方もあるわけです。
日ごろからの掃除の積み重ねと年に一度のイベント。
上手に組み合わせて新年を迎えるためにきれいに整えたいものです。