まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO(ライフオーガナイザー)的 エンディングという言葉の意味

セミナーを振り返って、考えたことをつらつらと書いてみた。
結局、自分はこのセミナーで何を学んだろうとアウトプットを試みたけれど、簡単には答えが出なかったので・・・
自らの死後のことを自ら考えるようになったのはいつからだったかなぁって考えてみた。
そして、出来るだけ早く死にたいと思っていた時期があって、その頃から身軽に、身綺麗に生きたいと思うようになっていたような気がします。
それは、旅経つ時に周囲に知られたくないと言う猫の様な心境でしょうか?

私は「長女」という役割がありました。
普通の家ですが、女姉妹の長女なので自然と「墓守」だといわれて育ちました。
それは刷り込みのように言われていたのだと思います。
そして、その役割が重要視されていたことも知っていたし、重荷だったのです。
だからこそ、静かに立つ鳥跡を濁さず。
そう考えた結果だったと思います。

多分、少し前の田舎の家なら、必ずあった風景ではないかと思います。
土地柄というよりも、3世代同居が当たり前で、別々に住むなんてとんでもないと一般的に考えられていた頃のコトです。
今、その土地を離れ、家族も離れ、墓だけが残っています。
現在は、自分の親が墓守をしていますが、妹と話しているのは、両親の内どちらかが亡くなったら、お墓を移そうということ。
そして、そのことは両親にも何となく話しています。
というのも、真面目に話す時間を作るのも必要ですが、普段の生活の中でそういう話も出ていいことだし、話すことで感情的にならずに済むのではないかと思うからです。
人は必ず死ぬもので、それが思いもよらないタイミングであることを知っていれば、そんな話も受け止められるものだと思うのです。
それに、亡くならずとも、自分に判断能力が欠てしまうとままならなくなります。
それも踏まえて、自分のために、大切な人のために、エンディングを見据えるというのは大切なことなんだと思うようになりました。


面倒を掛けたくないけれど、「死」はこの世からいなくなることで、この世の手続きは自分が居なくなってからしかすることが出来ません。
だから、その手続きをスムーズにするための手順書だと思うのです。


「仕組化」「手順書」はLOとしてお手伝い出来ることになります。
そして、自分自身はダンナさんとそんな話を普段からしておいて、お互いに慌てないようにしたいと思うのです。

最小のコミュニティーである私とダンナさんとの関係。
LOとして仕組を作り、それを渡す。
私の目標です。


このごろは、年を重ねることは「死」に近づくことだと自分の中ではカウントしています。
決して縁起が悪いことではないし、待ち望んでいるわけでもありません。
でも、それが当たり前に思えるようになればいいと思うのです。

これからは、そう思えるようになればいい。
自分がそれを受け入れて、日々「気持ちよく」暮らすこと。
それが私の目指す「まるくくらす」という意味なんだと思うのです。

色々と考えたセミナーですが、まずはまだまだ周囲を綺麗にすることが大切だと感じました。
荷物も、人間関係も、全てが自分を形成するモノだから、ソコに責任を持てるようになるために、LO活動は必須なのです。

もし、迷っている方がいたら、コメントでもメールでも・・・
一緒に考えるというか、考えるための時間や空間を作り出すお手伝いをさせていただきたいと思います。