LO的 プロの三流とは
”三流”が”二流”になって、そして”一流”になる。
巷でいう”一流”は”三流”が努力するとなれるもの。
”セクハラ”、”モラハラ”をする人は”三流”。
ですが、私のいう”三流”とは違います。
私的"三流”は、やはり”三流”で終わるものなのです。
私の思う「一流」「二流」「三流」とはその人の質のことです。
何故そう思ったのかというきっかけは、派遣で仕事をしていて、多くの環境で、多くの人と接するうちに、「何故この人が、ココにいるんだろう?」と思う人が案外多くいるからです。
「一流」とは
人を使う事が上手いけれど、自分で出来ることは凄く少ない人
「二流」とは
ある程度の人を使うのは上手くて、自分でもそこそこ出来てしまう人
「三流」とは
人を使うのは苦手、自分で出来てしまうから、人に頼まなくてもいい人
こう考えると、「一流」「二流」「三流」は決して交わることもないし、レベルアップする関係じゃないと思うのです。
社長にしても、モラル、レベルの低い人がなることがあっても「一流」の人がなれば、それなりに会社は動くものです。
逆にモラル、レベルが高くても「三流」の人が社長だと、会社は動かずに止まってしまいます。
だからこそ、「一流」の人が社長になるのがいいと言われるのでしょうが・・・
でも、社長になる人達全員が「一流」ではありません。
だからこそ、「三流」の人へのビジネス書には、社長として動くためには、自分自身が成長するためにどうするかを常に考え、相手に学ぶ姿勢が必要。と書かれています。
そうでないと、自分自身だけが納得してしまう結果になり、ワンマンが悪い方向に動いてしまい、会社が潰れると書かれています。
そうなりたくないけれど、どうすればいいか分からない人もいます。
言葉にすると凄くシンプルです。
「100%を相手に望まないこと」なのです。
自分自身が100%だとしてもです。
この思考の切り替えが「一流」「二流」「三流」を分けるといっていいかもしれません。
その切り替えがスムーズな人が、一般的に言われる「一流」と呼ばれる人なのかもしれません。
仕事の質や収入だけで「一流」かどうかを判断することは、一つのルールに則ったライン決めでしかありません。
自分のルールで「一流」を決めることが出来るというわけです。
同じ条件
同じ立場
「一言言える」「1アクション追加する」など、自分で考えて、自分の出来ることを実行する。
正解かどうかは確認することで可能になる。
ただ、この「正解」も相手の思いに沿ったかどうかというトコロで変わってくる。
だから、「正解」というのとは違うかもしれない。
自分の立場と相手の立場を考えると、言動に現れてしまうもの。
無理をせず、相手を思うのが自分流のやり方となるのではないでしょうか?
「一流」「二流」「三流」は相手の評価です。
「自分」のやり方、想像に対して、どこまで出来たか?
これが自分の「一流」「二流」「三流」の評価なのです。
プロの三流とは、自分で何でも出来るけれど、他の人は自分と同じ様に出来ないということを知っていて、相手に自分と同じことをするように望まない、そして仕事をしていくうえでその思考を上手く活用出来ている人なのかもしれません。