LO的 ニッチな視点
私が小さかった頃は、皆が同じものを求めていた気がします。
ライフオーガナイザー Kuraです。
平等にテレビ、冷蔵庫、車、と頑張ってきた世代が年金世代でもあるのです。
平等だった頃から脱却して、個性的であることが主流になり、今は共感が主流です。
ただ、共感したいのに、相手の事は分からない。そんな感じにも見えます。
理解し合うのは理想ですが、歩み寄ったらお互いに傷ついてしまいそうで、まるでヤマアラシのジレンマのようです。
共感したいけれど、ほんの少し隙間のある共感。
その隙間に入り込むのがニッチな産業。
ライフオーガナイザーもそんな産業かもしれません。
「片付けたい」に共感しながらも、画一的な片付け方法を目指すのはなく、それぞれにあった片付けを提供するからです。私自身が色々な片付け本を見て、真似をして挫折すると言うパターンを繰り返してきたので、今は自分のルールで自分が片付いたと思うラインがはっきりしたことで、楽になりました。
一人ひとりが違うのに、画一的なものに自分を合わせようとしていた時代からは脱却したのです。
ただ、いままで画一的なモノしかなかったから、ソコに自分を当てはめれば歪んでしまうし、当てはまらないことを良しとも出来ない。
そのひずみこそが、ニッチな視点。
自分が思う生き方はとても壮大なテーマです。
全うすることが出来れば、いい人生だったと「わが人生に一変の悔いなし」とある帝王のように言えるかもしれませんが、生きていく中では妥協も必要になります。
ソコをどれだけ充実させるか?
妥協なのに、充実・・・矛盾しているようですが、妥協の中にも充実出来る部分を探せばいいのです。そして、妥協ではなく自分の許容範囲ライン内だとすればいい。
条件を淘汰していくのも、整えるに繋がる。
必要なモノを選びとる人生もいいですが、不要なモノを見抜くのも人生の一つだと思うと楽になると思います。