LO(ライフオーガナイザー)的 動かないで! 気が散ります2
今では「ADHD」などと呼ばれることも多いと思います。
私はその傾向があったと思うのです。
「落ち着きがない」と成績表の備考欄にいつも書かれていました。
今考えるとそのコトが原因ともいえる失敗を何度かしてきました。
特に人間関係では、それがものすごく発揮(?)されていたと思います。
苦手意識が通じてしまうのか、相手が自分を受け入れないことが分かってしまう。
容姿だけで判断されれば、諦めもつきますが、「私」というタイプがNGなんだと体全体で訴えられてしまうと、どうしても踏み込むことが出来ません。
思いこみだと思われていても・・・です。
現に、同僚や友達が相手にそれを確認してくれて、教えてくれた結果なので、思いこみだけではなかったようですが・・・
おかげで、初対面でOKとNGを感じます。もちろん、同じ目標に向かう過程で、NGがOKになることも多々あるので、諦めたりはしませんが。
タイトルの「動かないで!気が散ります」と言うのは、皆が同じだと思っていた感覚です。
目の端に動くものがあると気になるし、話をしていても、別のトコロの相手の動きや、全体を把握して、先に動くことがあります。
皆がそうだと思っていたのですが、案外そうでもないとのこと。
周囲の音と動きに敏感だということは、目の前のことに集中していないことだともいえるのです。
これが「多動性」とも言えるし、「過敏性」とも取れてしまう。
いまでこそ「ADHD」なんて呼び名がありますが、これは、脳の機能が少しだけ不具合を起こしているということ。
それを、不具合を具合よくするのもありだし、不具合のままお付き合いするのもあり。
大人になれば、自分でも上手く付き合えるようになるかもしれませんが、子供だと難しいのかもしれません。
ちょっと自分と違うと「違う」というのも子供ならでは、だと思っていたので。
でも「べき」「皆」「絶対」「はず」など、大人になってからも苦しみます。
苦しみながらも、自分で自分の特性を知って、対応していくしかないと思っているので、今までなんとか折り合いをつけてきました。
折り合いを付けられない人もいるのだと、大人になってから分かりました。
私は、自分のように折り合いをつけながら皆が生きていると思っていたからです。
折り合いがつかないことがどれだけ辛いことかは、折り合いがつかない期間がある自分にも少しだけ分かります。
ただ、折り合いがずっとつかない人よりも、折り合いをつけることでストレスを緩和しようとする私は。逃げ方が上手いだけなのかもしれません。
逃げるのは嫌かもしれません。
逃げると、逃げ癖がつくと言うかもしれません。
それでも、折り合いをつけた先にも何かあります。
何かある先を折り合いの相手に選ぶ。
姑息ですかね?
それでも、ストレスで倒れてしまうよりは、私はずっといいと思うのです。