まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO(ライフオーガナイザー)的 コミュニケーションを考える

知的障害の中には、「他人とのコミュニケーションが非常に苦手」という症状もあります。
いわゆる、コミュニケーションが上手に取れない人・・・と解釈されていますが、そもそも「コミュニケーション」とは何だろうと考えるわけです。

相手の事を思いやることでしょうか?
相手の気持ちを理解することでしょうか?
相手に自分の気持ちを分かってもらうよう伝えることが出来ることでしょうか?

どれも合っているようで、どれかだけでは足りない。
結構、複雑な事を私たちは毎日しているのだなぁと思います。
そして、それが「ストレス」となってしまう事も。

コミュニケーションとは「社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達」と言われているので、伝達する能力に欠けることを言っているのであれば、誰しもが伝達能力に欠けていると考えてしまいます。
だって、他の人の事なんか、全部分かるわけがないのですから。

出来るだけ、相手の気持ちに添うように考えようと試みますが、どうしても添えない事もある。
添えない事を伝えるべきか、それとも黙って頷くべきかを迷う事もある。
最後まで伝えられなかったのに、「ありがとう、私の気持ちを分かってくれて」と言われるとその言葉に「ストレス」を感じ、自分の方がぐったりしてしまう。

社会は一人ずつでは営めないものです。
なにかしら、繋がったりしているわけですから、コミュニケーションしているのです。

たとえば、買い物してレジを通らないと商品は買えない、だからレジでお金を払う。その時に、レジの人とは話をしなくても、商品を買う自分と、商品の代金をもらうレジの人との間で、決まったやり取りは行われます。
これもコミュニケーションと言えば、コミュニケーション。
話さなくちゃいけないとか、何か言わなくちゃいけないなんてことは決まっていません。

他にも、仕事をしているうえで、電話を取ることもあるし、こちらから電話することもある。
私は基本的に電話が苦手です。
第一声が難しい。
明るい声で、少し高い声で、企業名と部署名と自分の名前を呼称する。
もう、電話が鳴らないでほしいとさえ思う。

でも、仕事をしている以上は、それも仕事の内だと考えているので、ソコは自分なりに工夫します。
まず、第一声の名乗り。
電話に「会社名、部署名、名前」を張っておきます。
そうすれば、電話を取って頭が真っ白になっても、ソコを見れば、何とか名乗ることが出来ます。
名乗ることが出来れば、そのあとは、何とかなると考えているので、最初さえ押さえればいいと自分に暗示を掛けているわけです。
最初が肝心ですから、ソコをどれだけ焦らない様にすべきかを考えます。
仕事先が様々なので、電話の第一声も様々です。
そう考えて、一番最初に聞いておくことにしています。

ライフオーガナイザーになって、自分が仕事をしていくうえでの手順も少しずつ考えて行くようになりました。
もちろん、仕組化はライフオーガナイザーのお仕事ではありますが、自分が色んな仕事をしていく中で、自分がどうしても苦手な分野があることに気付いています。
だからこそ、苦手分野克服のための手順は必須です。

コミュニケーションも苦手分野の一つ。
ただ、最初から相手の事を分かろうとしないわけではなくて、一生懸命相手の事を考えるというスタンスは崩しません。
もちろん、相手にも私が相手の事を考えている・・・という事は、たとえ考えた内容が間違っていても考えていたのだということは伝わります。
「私がコレだけ考えた」と相手に伝えることは大切なことですが、相手がそれを「ありがとう」と受け取るか、「余計なお世話」と受け取るかは相手次第。
だからこそ、相手の事を思いやるというのは、自分本意の考えに過ぎないのかもしれないと思うようになりました。
一生懸命考えるのは、お互いの間にある「仕事」であったり、「要件」であるということ。
そのことに対し、一生懸命に考えた結果を相手に伝えればいいと思えるようになりました。

でも、これが友達に相談された時は違います。
「共有」と「共感」です。
友達の相談内容は「共有」、友達の相談した時の感情は「共感」となります。
私はこの「共感」が出来ない。
なぜかというと、友達はとても大切な人だけれど、感情を同じくすることが出来ないと考えているからです。

感情の温度と言えばいいのでしょうか?

たとえば、「怖い」にも温度があります。

私は「怖い」と思うと、その日の夜の夢は「怖い」感情が残っているのか、怖い夢を見ることが多く、そのため、「怖い」と思う番組や情報をあまり知りたいと思いません。

でも、友達は「怖い」番組や情報を「怖い」と知りつつ楽しんでみようとすると、私がどれだけ伝えても、相手にどれだけ伝わっているのかは分からないのです。

そう思うと、情報の共有は出来ても、感情の共有は出来ないと思ってしまう。

ただ、相手の感情が共有出来なくても、私の中で一番近い気持ちで感じ取ろうとは思うのです。

私にとって、コミュニケーションを考えると言う事は、自分が「共感」して欲しい事を相手に上手く伝えることが出来るのかを考えることなのかもしれません。

 

相手の事を知りたいと言う欲求も分かるし、相手に分かって欲しいと願う気持ちもよくわかる。

ただ、相手は「他人」であって、自分ではないのです。

発達障害」という言葉が出回って、治療だとか、症例なども出ています。
私の中では、多かれ少なかれ、皆が持っている症状だと思っています。

だからこそ、コミュニケーションを大切にしたいと思います。

メールでも、会話でも、相手を繋がるツールは何でもいいと思います。

綺麗事かもしれないけれど、相手の事を知りたいと、私の事を知って欲しいと思い合って、最初はそこから始めればいいのではないかと思うのです。