LO的 同居について考える2
同居している義母は、少しだけ体が不自由です。
後期高齢者であることも考えると健康的だとは思いますが、それでも体力も減ってきているので、無理はさせられません。
家事も色々と年々難しくなってきているのでしょう。
でも、出来ないからといって取り上げてしまうことは、私の首も締めることになるので、出来るだけの範囲の中でやってもらっています。
「出来ることを出来るだけする」これが私のスタンスなので。
子供と違って、自分は出来ると思う事もあるかもしれませんが、実際は後で私や夫がフォローすることも多くなりました。
見えないように隠したり、わざと見えるようにしておいて行動を促したり、「フォロー」と言うよりは「暗躍」なのかもしれません(笑)
これには、夫とのチームプレーが大切です。
夫と私は、将来までお互いに一緒に居る時間が長い相手だと認識しています。
だからこそ、相手と気づまりする関係にはなりたくはない。
なので、夫であれば「私」と「義母」の天秤は「私」の方に少しだけ重みを掛けてもらう。
私は「夫」と「自分の親」の天秤は「夫」の方に少しだけ重みを掛ける。
だからこそ、お互いが嫌がることはしないでおこうと思うと、自分の親には少しだけ言いたいことを言えるのです。
「大事」「大切」この感情はあってしかるべきですが、「大事は相手は誰なのか?」「大切なことはなんなのか?」を見誤ると、後々自分たちが苦しくなるし、家族がギスギスしてしまうものです。
だから「見誤らない」ことが大切なのです。
見誤らないからこそ、適切な処理が出来るのかもしれません。
義母との同居は一時的なモノです。
まぁ、その一時的が10年なんか20年なのかは分かりませんが。
それ以上に夫との同居は続くと思うと、夫を大切に思い、夫が嫌がらない程度に自分のわがままも聞いてもらう。
これが同居時の、夫婦のコツなんじゃないかと思うのです。