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まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 同居について考える3

夫との連携プレーが出来てくると、二人で義母にしてもらいたいことをしてもらえるように考えることが出来ます。

ポイントは、義母が自分でやっているという「満足感」です。

同居していると、買い物なんかも同じお財布からになることもあるかと思います。自分の買いたいものは自分のお財布で買ってもらいますが、食事の用意なども考えると買い物は一緒に行くことも多くなります。

 

まずは、買い物に行く時は、必ず義母にカートを押してもらいます。

欲しいものをカートの中に入れてもらいます。

長時間の自立歩行が難しい場合は、カートなどがあると押して歩けるので安心です。

買い物に行くという事は、身体的にも感情的にもアクションを起こすのでとてもいい刺激になります。

この時、「必要なモノを買ってください」とお願いします。

これは、「家族に必要なのか?」「自分に必要なのか?」を考えてもらうためです。

毎回、買い物に行った時の義母にはこのミッションをお願いしています。

 

そして、私のミッションは義母を見守ることです。

子供がカートを押すのと同じくらい、高齢者がカートを押すのは危険な時があります。「周囲が見えない」「欲しいものを見つけるとカートをふり廻す」「カートを置き去りにする」など、高齢者カートあるあるです。

見守ることで、いつもにない行動を起こしたりすると、少しずつ認識できる範囲が狭くなったり、記憶の繋がりが依然と変わっていることにも気づけるので、認知症や脳の病気を疑うきっかけにもなります。

 

そして、毎回同じスーパーには行きません。

同じトコロの方が安心するでしょうが、ルーティン化してしまうので、ランダムで近くのスーパーをチョイスします。

ただ、広さによっては体の疲労が出てしまうので、買い物から帰って来てからはゆっくりしてもらい、私たちが冷蔵庫へモノを入れたりすることにしています。

買い物の内容をみて、違和感を感じることとしては、同じお惣菜をずっと買っていたのに買わなかったとか、急によく似たものを買うなどはちょっと気にしておきたいものです。

たとえば、ポテトサラダをずっと買っていたのに買わなかったり、急にポテトサラダではなくマカロニサラダを買ったりした場合、その後の動作を確認して、それが、ちょっとした間違いではないかどうかを判断します。

家に帰って、マカロニサラダに手を付けない理由が「間違ったから」の場合、視力低下も疑うべきかと。

間違う行動が多くなったら、認知症とは行かずとも、今の義母のラインが分かるので、次の買い物の時には声を掛けることも出来ます。

 

同居したての時よりも、全然行動範囲が狭くなっているし、出来ることも少なくなっていますが、まだまだ、動けると判断して、私は義母に台所をお任せしています。

 

「出来ることを出来るだけ」

 

これで上手く回れば、結果オーライなのです。

 

また、必要なモノだけを買う。

節約術としては当たり前のことです。

ライフオーガナイザーとしても、ルールの一つに加えたい一つです。

でも、義母にはそれが通用しません。

安いと買っておかなければいけないと思ってしまうようです。

義母が一人で自由に買い物に行けない事もあるからかもしれません。

キャベツが4つ、冷蔵庫にあるのには驚きました。

それ以降は、冷蔵庫の中も一応確認して、安いからと言って買わないように一言言うようにしています。

それでもフォローしきれなくなったら、義母には台所を任せずに、主婦業から手を引いてもらおうと思っています。

何もさせないというのは最終手段であり、義母が自分で動ける今は、主婦業を少しでもしてもらえるようが絶対にいいと思っています。

出来る範囲が家の中だけでもいいのです。

私が外に出て働いても、義母が家にいるということが安心材料になるのです。