まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 もう少し様子を見ることにしました2

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

先日、「LO的 もう少し様子を見ることにしました」を書きましたが、やはり気になるのでもう少し・・・

以前は息子や娘に分かる程度・・・ではありましたが、義理ママの兄弟にも分かるような行動になりました。

前は、頑張っていたのですがね。。。

住所を書いてと言われた場所にバランスよく書けない。

これは、私たちでも文字の配分を間違うことはありますが、全部書きたいのに配分を間違う・・・ではなく、市町村番地で「住所」と認定出来なくて、市町村まで、番地はどうした!!

文字については、手の力が少しずつ弱くなってきていることもあるし、ボールペンが書きにくそうだったこともあったので、そこは良しとしました。

なんでもそうですが、生きている以上、本人の自筆を求められることが多くなります。

問診票やはがきの返事などは代筆できますが、お金の絡む書類は自筆が求められることが多くなります。

そして高齢化してきている現在では、義理ママの兄弟が亡くなり、義理ママが生きている場合は、遺産相続という面倒くさいことも発生してしまい、それに伴う書類にはすべて自筆を求められてしまうのです。

今回は、義理ママの弟(長男・独身・持ち家あり)が亡くなったことで、持ち家の土地と家を誰が相続し、銀行の解約をどうすればいいのか・・・

義理ママはもうすぐ80歳になります。

その前後に兄弟がいるわけですが、全員が周辺に住んでいます。
まず、手続きの仕方も知らない。
もしくは手続きの仕方はわかっても、自分で手続きにいけない。

自筆と印鑑は相続者として必要。
兄弟が多ければ多いだけ、取りまとめる人が必要になる。

そんな中、色々と兄弟達が持ち回りで行っている中、義理ママはまぁ言えば蚊帳の外。

自筆と印鑑、証明書だけを求められるわけです。

書類とはいえ、何に印鑑が必要なのか?

印鑑証明や戸籍抄本はなぜ必要なのか?

こちらとしては、不安になります。

そのため、必要以上に聞いてしまうのです。

でも、義理ママは全く分からない。

分からないのか、理解しようとすることを放棄したのかはわかりません。

息子と娘がいるから大丈夫。

そんな態度が見え隠れして、自分のことなのに、他人ごとのようで、なんだかモヤモヤするのです。

兄弟の中で守りをする相手に対しても、何も感慨がわいていないようにも見えます。

 

今回対象となっているのは、自分の過ごした実家です。

それに実家が無くなるかもしれないのに、そこにも何の感情も沸いていない気がします。

自分が今住んでいる家じゃないからでしょうか?

でも、私が結婚したての頃は、もう少し感情が見えていたような気がします。

少しずつ何かが欠けていく感覚。

それは記憶だけじゃない。

感情もなんじゃないか?

記憶や、行動だけじゃなく、感情が欠けてしまうのも、認知症の一つの症例でもあるように思います。

おいしいものをおいしいと思って食べてほしい。

面白いと思って、毎日を過ごしてほしい。

そう思うのはこちらの勝手であって、毎日穏やかに、何事もなく過ぎていくことが、認知症となった人たちにはとても大切なことなのかもしれません。

穏やかに過ごしてほしい。

でも、出来れば感情は失ってほしくない。

そんなジレンマが生まれた出来事でした。