LO的 人生の最期について考える
「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」
ライフオーガナイザー Kuraです。
今回は、葬儀の話。
義理ママは80歳手前。そして、妙齢となった兄弟姉妹たち。
義理ママの弟さん(独身、長男)が亡くなりました。
姉妹弟はいますが、長男であっても、自分が亡くなるときのことを全く考えていなかったと思います。とはいえ、そんなものです。どれだけの人が自分が死んだ後のことまで心配して過ごしているか・・・
それでも、本家の長男。
最終的にはそんな思いも兄弟の中ではあったと思います。
今回は、家での葬儀をせずに、葬儀会場での「家族葬」となりました。
お通夜の晩にはいろいろと兄弟で話し合ったのだと聞いています。
年齢を重ねからこそ、相手を慈しむのは、私の幻想だったようです。
長男であっても、独身ということで、喪主は次男がすることになりました。
ただし、式を仕切るのは長女。
そして、車の運転が出来る妹と最年少の妹が何かと動いて、今回の式となりました。
「家族葬」で見送ることになったようでした。
連絡を受けた時に、そう聞いていたら、こちらも行動を考えたのかもしれません。
家族葬とは言われていなかったこともあり、しっかり葬儀に参加するものだと思って慌てて支度をしました。
でも、甥と姪は式には必要がなかったようで、私たちが駆け付けると、出迎えてはくれましたが、帰った後にひと悶着あったらしいのです。
そして、葬儀の間中、妹達の言っていた「恥ずかしいお葬式」という言葉。
色々と考えさせられた出来事でした。
さすがに義理ママに直接ぶつけてくることはありませんでしたが、何かしら言葉を投げかけられたようで、後日その話を聞かされて、義理ママに申し訳なかったなぁ・・・と思ったくらいです。
家族葬と考えていたと言われたけれど、どこまでが家族葬なのか?
亡くなったことを知らせるにあたって、どんな式をするから、こうしてほしいと伝えられるか?
実際、夫の父親が亡くなったときには、まだ「家族葬」が一般的ではなく、どちらかといえば、義父の会社関係の人たちにも連絡し、夫の会社に連絡し、なんとなく誰のためのお葬式なんだ?というスタイルとなってしまいました。
10年以上も入院していた義理の父のことを考えると、知り合いに知らせるのは当たり前ではありますが、身内だけでよかったのかもしれない・・・とも考えるのです。
ただ、亡くなったのは義父であって、その葬儀をするのは残った私たち。
そのころから、「お葬式」に対して、夫とも、実家の父母や妹とも話す機会が増えました。
「家族葬」にするとしたら、どこまで?
甥っ子、姪っ子は家族葬に参列することも許されないのか?
葬儀には出ずとも、お参りだけさせてもらうことも許されないのか?
姉妹弟が自分たちのできる範囲で見送るのが、家族葬のいいところであり、それがニーズにマッチしていると思います。
逆に、葬儀は立派でなくてはいけないという考え方も悪いとは思いません。
ただ、身の丈に合ったことをすればいい。
夫と私は、お互いにそう思っています。
とはいえ、実家の父と母が意外と計画的なのに、私自身は行き当たりばったり。
夫も考えていはいますが、口に出さないので、わたしにはさっぱり。
ただ、それでは残された周りにやっぱり迷惑をかけるほうが多い・・・と思い、自らを反省した出来事です。
本人は満足でも、残された人はこれからも生活が続くからです。
だからこそ、いろんな手続きなんかは出来るだけない方がいい。
手を煩わせたくないと思ってしまうのです。
子供のいない私たちは、お互いにどちらかが先に逝くことになれば、必ずもう一人が見届けなくてはいけません。
出来れば、夫に私を見送って欲しくはないなぁと思います。
夫を見送って、私も逝きたい。
夫をこの世で一人にしたくはないのです。
出来ることなら、夫と私が夫婦でいる間に、夫には逝ってほしい。
ダメだった時のために、「エンディングノート」と「遺言状」を書いておく。
ライフオーガナイザーになって、自分の目標の一つになりました。
自分自身のライフを充実させるためにも、家族のライススタイルを考えるときにも、自分がどうしたいのか、どうなっていたらいいのか?
考えると、そこに行きつくわけです。
自分もいつかは誰かを看取る日がくる。
考えさせられる出来事でした。