まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 情けは人のためならず

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

個人的には、誰かのために・・・と思うことは悪くないと思います。

でも、「~してあげる」というのは、少しナルシストっぽくて嫌なのです。

「誰か」のために「何か」をする自分に幸福を感じる。

それで自分のモチベーションが上がり、幸せを感じるのはいいことだと思いますが、返しを要求したり、「あなたのためを思って」という精神では、「誰か」や「あなた」の負担になってしまう。

私がこうしたんだから、こうしてもらえないのは不条理・・・という気持ちは理解できないでいる。

私の気持ちと同じだけ返してほしい・・・と思う人。

自分の感情をぶつけて、受け止めてもらって当たり前だと思っている人。

自分の価値観は正しいと思っている人。

もちろん、自分の価値観はあって当然だと思うけれど、それを自分でない人に同意させるのは簡単なことではないし、返されなかったからといって腹立たしいと思うものでもない。

思いは「色」も「形」も見えなくて、それでもどこかで同じだと思いたい。

ただ、相手も自由に考えている。

お互いに否定されるのは面白くない。

同じ感情でも、相手の温度は見えないし、確認のしようがない。

せめて、私の思いが誰かを助けているといいなぁ・・・あたりで思いを止めておけばいいと思っているのです。

 

人の気持ちは本人でもわからないときがあるし同じ体験をしても、その時その時で思いも変わってきます。

だから、私は「嫌い」とは使わないことにしています。

「苦手」と相手に伝える。

個人のことよりも、「ここが苦手」と伝えることで、相手に伝わるからかもしれません。

相手の一部分をみて「嫌い」というのはなんだかおこがましく、「ここが苦手」と相手に伝えられることで、その人を、そのモノを遠ざけずにいられるような気がします。

きっと「嫌い」という言葉にトラウマがあるのかもしれません。

言葉は口に出すと「言霊」となり、呪詛にもなります。

だからこそ、自ら発する責任があり、怖くて離せなくなる時もありました。

今は、自分の言葉に敏感でいようと思っています。

「誰かのために」も同じです。

「誰かのための情け」が回り回って、自分に戻ってくる。

そんな意味がある「情けは人のためならず」

自分に返ってくることを考えて何かをするわけではないけれど、誰かを思うことで、自分のことも思ってくれる誰かがいる・・・そう思うと、心が安らぐものです。