LO的 指名された後、チェンジは出来る
「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」
ライフオーガナイザー Kuraです。
毎回義理ママの話なので、今日は実ママの話でも・・・
自分が出来なかったことを娘に託し、実力が伴わないこと子供に練習しろといい、なんでできないのかと問われる。
私が子供のころ、そんな母親が多かった気がします。
実家は自営業だったこともあり、お迎えも発表会も一生懸命してくれました。
子供ながらに、決して上手でない自分に対してそこまで頑張る母親に申し訳なかった。
そして、その一生懸命さが恥ずかしかった。
実ママの愛が重すぎた・・・
実ママは乳がんでした・・・というのも、もう30年になりますが、再発はしていないので、過去形とさせていただいております。全摘出だったので、転移もなかったのかもしれません。
そのころ、学生だった私は実家を出て、寮に入っていました。
年末前の冬休みに帰ると、実ママが入院していると実パパが迎えに来てくれたのです。
へぇ・・・なに? 「乳がん?」「もう手術は終わってる!」
寝耳に水でした。
子供に心配かけたくないと、私が帰ってくるまで内緒にしていたというのです。
妹は実家暮らしでしたが、今のようにラインもないし、寮にいる私に自宅の電話から妹が電話をしてくるわけではない・・・そんな時代です。
今、自分が何らかの病気で入院することになった場合、やはり最初は言わないし、言わないで欲しいと夫に頼むような気がします。
今なら実ママの気持ちがわかりますが、あの頃は「無理を押し切って出ていった私のことが嫌いだから手術のことを話してくれなかったんだ」と思っていました。
妹も第二次反抗期だったこともあり、実ママには家の中には味方がいなかった。
でも、私は実ママのプレッシャーを受け止められなかった。
受け止められなかったから、負い目を感じたのだろうし、その反動でその時に出来る精一杯の反抗をしていた。
さすがに今は話せますが、当時は全然このことに自分から触れられませんでした。自分の負い目まで話さなくてはいけないので、出来るだけ避けてきたのです。
実ママも抗ガン治療中は色々と精神的にも肉体的にも苦しい局面があり、それ支えたのは父であり、姑である祖母だったようです。
嫁姑の関係はとても難しいものです。
お互いに若く、自分のことは自分で出来るもの同士、タイミングの違いからイライラすることも多かったのだと今なら納得できます。
そのため、どうしても、いがみあうというより、変な空気になってしまうこともしばしばありました。
私にとっては、母と祖母。
実ママにとっては娘。
姑にとっては孫。
私は二人の間でお互いの機嫌を損なわないように調整することであるかのようにふるまっていました。
それが長女である私の使命だとおもったからです。
自分だけの問題ではなく、家庭内の問題だったからです。
嫁と姑は永遠に他人・・・
実ママの言葉が今の私の同居するにあたっての指標です。
夫(息子)を介して、赤の他人同士が一つ屋根の下に暮らす。
これが「同居」です。
だからこそ、他人と共有できない違和感を抱えて、毎日の生活を送る。
それを調整する。
「調整」こそが、「チェンジ」です。
三世代同居を経験したからこそ、今夫の母親と妹と同居しても、「チェンジ」してストレスを溜めずにいられるのかもしれません。
親も子供もご指名はできませんが、お互いに調整することは出来る。
子供は、親との関係を調整する。
親は、子供との関係を調整する。
お互いに気持ちを調整し、相手との距離を調整することで、その時々の適正な距離を保てるようになると思います。