LO的 片づけについて №02
ライフオーガナイザーのKuraです。
今日は大掃除について。
結婚して、家を建ててからは、夫と二人で年末になると玄関や窓、ベランダなどを掃除します。
これを「大掃除」というのであれば、そうかもしれません。
夫は家を建てる前は、まったく掃除に興味もなく、年末年始は家に帰らなかったほど。
それなのに、結婚してからは、12月に入ると「大掃除」のスケジュールを立てるほどの入れ込みようです。
正直私は「大掃除」って好きじゃない。
普段からそれなりに片づけて、掃除していれば、何も年末にだけ掃除しなくてもいいんじゃない?と思ってしまうのです。
私の「大掃除」のイメージは、サザエさんの大掃除。
窓ふきに雑巾がけ、はたきをパタパタ。サザエさんが号令をかけるあの大掃除が「大掃除」のイメージです。
実際、実家は雪が降る地方だったこともあり、雪囲いというものを11月~12月にかけて準備します。
湿気も多くなるこの時期に窓ふきはあまりしませんでした。
窓を開けると雪が入り込んでくるし、何より寒い。
半端なく寒い。
こんな中窓ふきをするなんてことは考えられませんでした。
そして「よそはよそ、うちはうち」が口癖の両親の言葉を受けて、幼いころよりマイルールが培われていたことも要因の一つだったのかもしれません。
大体の母親のいう「よそはよそ、うちはうち」の場合の「うちはうち」は母親のマイルールが適用されるということです。
実家もご多分に漏れず、母親のマイルールがまかり通っていました。
とはいえ、母親の思うように掃除しておけば、文句を言われることはなかったので、その辺はうまくやっていたのかもしれません。
それに母親はある程度整っていれば、大掃除は免除してくれていましたから・・・
整えておかないと、母親のルールの沿って整えられてしまいます。
思春期の子供にとって、机の引き出しや、本棚までも触られることは正直嫌で仕方がありませんでした。
触られないためには、整える。
そう、自分なりに整えておくと、母親が触ったことがすぐにわかる。
思春期の子供のプライバシーを荒らす(笑)母親でしたが、心配ゆえのことだと子供ながらに思っていました。
だから、見られたくないものは身に付ける。
そしてそれを実践するためには、身に付けるものは整えておく必要があるということです。
コンパクトにしておかないと、荷物になるだけで、怪しまれてしまいます。
だからこそ、スマートに隠す術を身に付けました。
また、高校に入ってからは、公共交通機関を使って遊びに行く範囲も広がりました。
出かけるからには自分で調べ物もするし(スマホやインターネットはなかったので)、手配も自分たちでしたこともあり、自分で自分のものを用意するためには準備が必要だということも覚えました。
そして車の免許をとって、また考え方が変わりました。
生き方についてです。
色々を考えを変化させていく中で、「片づけ」がかかわってきました。
整えておけば、出かける時にも慌てずに済みます。
例えば、「これさえあれば大丈夫」というもの。
「これさえ」は自分ひとりで出かけるときなのか、友人と出かける時なのか、家族と出かけるときなのか、その時々で変わってきます。
それでも「これだけ」を決めるルールは決まっていて、当てはめるだけでいい。
準備しておくことは、整えておくこと。
「片づける」ということは、人生に添っているのです。
だからこそ、年末の大掃除が新年を迎えるための行事として根付いているのかもしれませんね。
でも、生きることは決してイベント事ではないと思います。
日々、平穏に暮らすのも人生。
イベントに振り回されない暮らし方もあるわけです。
日ごろからの掃除の積み重ねと年に一度のイベント。
上手に組み合わせて新年を迎えるためにきれいに整えたいものです。