LO的 片づけの極意
ライフオーガナイザーのKuraです。
何だかんだと仕事を続けています。
やめる踏ん切りがつかないことと、まだ仕事が決まることへの安ど感もあります。
働き続けることが嫌いなわけではなくて、自分の意に染まないことをするのが嫌なだけなのかもしれません。
新しい仕事にチャレンジできる時のワクワク感とハラハラ感。
どちらが大きいかと言えば、ドキドキ感。
今から新しい仕事をするぞ!というドキドキ感が私の仕事への満足感に近いのかもしれません。
ルーティン作業が苦手な私ですが、仕事をしていくうえで、ルーティン化したいところはいっぱいあります。
例えばメール本文と枕詞。
同じ文面を、各部署に送る場合は、一回一回同じ文面を書くなんてもってのほか。
もしくは送信履歴からコピーするのもなんか違う。
結局、フォルダを作成し、テキストでメール本文を作成しておくのが、後々面倒ではない。
むしろ、ゆっくり本文を作成し、読み返し、推敲できるので、メールをそのまま作成するよりも断然おすすめです。
そして、そのテキストは日付入りの名前にして、タイトルや送り先なども文頭に記載しておくと、メールで探すよりも、断然早いです。
私は自PCになるべく情報を入れないようにしています。
みんなが使う資料が多いということもありますが、自PCが壊れてたりして、最悪、再インストールとなっても大丈夫にしておきたいからです。
会社のPCは自分のPCではないので、いつ何時交換が発生したり、故障したりすることもリスクとしては大いにあります。
今までなかったか・・・といえば、嘘になるので、その時に開発途中のプログラムだったり、設計書だったりがローカルにしかない場合、目も当てられません。
これとは逆に、共有フォルダにあるみんなが使うファイルを直接修正することもしません。
自PCに持ってこず、共有フォルダのも使わないとなるとどこでするのか?
ありがたいことに、共有フォルダに自分の個人フォルダがあてがわれることが多く、その中で、名前を変えて、自分の作業を行います。
ネットワーク経由の場合、接続がうまくいかないタイミングもあるので、こんな時に自PCの上で作成し、自分の個人フォルダにアップするのを繰り返すのです。
そうすることで、ネットワーク越しの更新をしなくて済むので、ファイルが故障するリスクが下がります。
ただ、自PCでの修正のため、修正のタイミングで、個人フォルダにも更新しておくと便利です。
会社の情報管理は厳しいものです。
そんな中で、危ない橋を渡るような行為をしなくて済むように、毎日試行錯誤中でもあります。
オフィスオーガナイズを学んでからは、特に情報のセキュリティについても、厳しく考えるようになりました。
色々と情報を持つことが多い社内のPCをいかに軽くして、共有ファイルを新しく更新できるか。
ルーティンが苦手な私ですが、ファイルの仕組化をしておくだけで、情報を履歴管理するのと同じくらいの保管率となるのです。
ファイルの履歴取りは癖付けしないと身に付きません。
すぐに忘れちゃうものなのです。
なので、今回は自PC上に担当案件ごとのフォルダを作り、共有の個人フォルダにも同じフォルダを作ります。
そして、同期をとっていく。
これがフォルダからフォルダに移す時のヒューマンエラーを回避するための私の方法です。
同じフォルダ名となるので、履歴管理する場合は、作業日当日の日付を入れること。
同じファイル名であっても、日付が書いてあることにより、前後が分かるだけで、プログラムの履歴とは違い、思いのほか楽なキープが出来ます。
特に自分の作った資料で、みんなに触ってもらう資料である場合、自分で履歴を取らないと、誰かが直してしまったファイルしかなくなってしまいます。
それでよければいいのですが、自分の持つファイルが基本だとしたら、もちろん行動を改めてもらう必要がある場合もあるかと思います。
上手く交渉するための情報としても、共有フォルダ機能を使うよりも、新しい顧客情報の守り方になります。
片づけルーティンにはいろいろあっていいし、自分にはあっている片づけ方が出来るようになったら、楽になるんじゃないかと思います。
自宅と仕事先は異なる環境課もしれません・・・が、片づけの極意は自分ルーティンを見つけて、それに乗せることが出来る人。
周囲にそういう人がいたら、一度真似してみるのもいい手かもしれませんね。
LO的 チャリティイベントに参加しました
ライフオーガナイザーのKuraです。
毎年、GW明けのチャリティイベントと師走のカンファレンスには出来るだけ参加しています。
カンファレンスはCLOの情報や、日本以外の国のLOの情報などを知ることが出来るし、チャリティイベントは地元のLO達と会うことが出来るイベントでもあるからです。
今年は初めて一般参加したチャリティイベント。
スタッフの皆さん、登壇者の皆さん、お疲れ様でした。
とても気持ちよく参加させてもらいました。
今年のテーマは
「心豊かに暮らす モノとの付き合い方」。
登壇者のセミナーを聞くたびに大きくうなづき、考えさせられました。
「好き」があるから、片づけを続けていける。
「好き」があるから、周りへの気持ちにも余裕が出来る。
「好き」なことがあると、生活にハリが出る。
私のライフオーガナイザーのきっかけはちょっと違うけれど、自分の片づけに迷わなくなったのはライフオーガナイザーを学んだから。
他人の片づけを否定しなくなったのも、ライフオーガナイザーを学んだから。
心の余裕が好きなことをするためのモチベーションにもなります。
私は、片づけたことで、生活のサイクルが短縮できました。
今までばたばたしていた家事を短縮、ルーティン化して、余力で本を読んだり、ゴロゴロしたり・・・
私にとってオーガナイズは仕組化すること。
決して片づけることではありません。
ただ、「片づけ」というツールに対して仕組化を行うだけで、こんなに気持ちに余力が生まれるんだと感じています。
本日の登壇者の方たちは、百戦錬磨のオーガナイザーたち。
カノジョたちのようには行かなくても、自分の仕組化を見直すきっかけになったと思っています。
ちなみに、「今日から自分を満たすためにやってみたいことはありますか?」の答えはこうです。
・次の目標を見つけるための、自分の思考の棚卸
・リバウンド気味の部屋の次フェースオーガナイズ
この2点を今年の私の目標にして、少しずつやっていこうと思います。
お正月に目標にしたことと、今回のチャリティイベントで目標にしたこと。
リンクして、つながっていくことで、仕組化が出来上がっていくような気がします。
「好きこそものの上手なれ」といいます。
自分の「好き」を大事にして、周りの人の「好き」も大事にして、家族で「好き」について話し合ってみるのもいいのではないでしょうか?
その時は「好き」を否定しないでくださいね。
自分の「好き」が相手の「好き」でなくても、お互いの「好き」を知ることで、大切にするものの価値観や判断材料が分かってくるのだと思います。
私は夫に「好き」なものを公開しているわけではありません。
内緒の「好き」でもいいのです。
自分に「好き」なものがあるということが、相手の「好き」なものへの理解にもなります。
私は今、「まるくくらす」を体現出来ているのか?
これも今年の私の目標なのかもしれません。
LO的 変化する環境について
ライフオーガナイザーのKuraです。
同居歴15年になり、一緒に暮らし始めたころとは何が違ってきたのだろうと考えることがあります。
何一つ変わっていない気がしますが、確実に年齢だけは重ねています。
それをすっかり忘れていました。
自分はもう50代を目の前にしていると実感しているのに、義理ママのことは同居時のまま止まっている気がしました。
少しずつ出来なくなっていることは、このブログでも何度か書いていますが、同居を始めた頃はまだまだ若いと思っていたけれど、今はもう喜寿を過ぎているわけです。
毎週買い物に一緒に行っていますが、この15年で車を3回買い換えました。
毎回その車に乗って買い物に行きます・・・が、今回買い換えた車は全く覚えられていないのです。
特徴はあります。
色も、白や黒ではありません。
それなのに、この間は全く違う車に乗り込もうとしていました。
色も車種も違うし、いつも乗る場所と違うドアを開けていました。
乗っていた人は驚いていました。
だよね・・・
私も驚いた。もちろん夫も。
まさかの車間違い。
年齢を重ねるということは、色々と不備が出てくると頭ではわかっていたものの、こうやって目の当たりにすると、私も内心で衝撃が起きます。
ただ、義理ママはあまり衝撃的ではなさそうで、このギャップがなんだかモヤモヤする原因になっていくし、塵積って山となるのかもしれません。
義理ママの歩く後ろ姿を見つめながら、歩くスピードが遅くなったなぁとか、足の引きずりが大きくなってきたなぁとか、きょろきょろしてるけど、見えてるかなあとか、色々と考えます。
ただ、義理ママに聞いても、思った回答が返ってこないので、想像しか出来ません。
例えば、今の車の色は何色に見えるんだろう・・・とか。
今聞こえている音はどのくらいの大きさで聞こえてるんだろう・・・とか。
気配で分かるのではなく、きっちりとみているようで見てないのが高齢者。
ADHDとは異なるけれど、同じように視線を送っても情報として入ってこない。
ADHDを学んで、これが高齢者に認知にも同じことが言えるのではないかと思っています。
ADHDと認知症がイコールではないけれど、ADHDの症状のいくつかと認知症の症状のいくつかは交わる円の中に入っているような気がします。
もっと前に義理ママと話をすればよかったなぁと思うことがあります。
ただ、自分の母親とは違う。
理解しようにも、理解できないだろう。
そんな風に思ってしまっていた自分を少しだけ残念に思っています。
私はもともと他人との距離感を図るのが苦手なタイプです。
急には友人を作れない。
自分の親とだっていまだに理解しあえているとは思えないけれど、理解し合わなくてもいい、優しくしたいと思う気持ちがお互いにあるので、フォローし合えます。
でも義理ママとの距離感は実の親とは異なるし、仕事仲間という位置づけとも違う。
私の中で新しいカテゴリの人。
だからこそ、ラインを見極めることが出来なくて、今に至っているのかもしれません。
義理ママにもそんな私の空気が伝わっていることは分かっています。
でも、どう接すればいいのかわからない・・・のが本音でもあります。
娘のように接するのは考えていませんが、義理ママの思う嫁のようにも接することは出来ていません。
だからといって、ご近所様ほどの遠い距離感まで行くわけでもない。
「赤の他人」と同居する。
義理ママとしても、私と同居するということはこういうことだったと思います。
最初は義理ママの方が気を使ってくれていたと思うと、今は私が気を遣うターンなのかしれない。
ただ、白々しさの滲まない、気の使い方が重要になってきます。
だからこそ、できるだけその変化に気付くこと。
オニ嫁として出来ることなんだと思っています。
LO的 義理ママのやる気スイッチ
ライフオーガナイザーのKuraです。
母の日のネタで義理ママネタを書きましたが、このブログは半分義理ママ日記のようなものかもしれません。
今、義理ママが出来ることを記載しておくと、あとで見返すことが出来る。
このところ、買い物するときに値段をみるのは今までと変わらないのですが、比較しているかどうかは不明。
今までは、お肉を買うときも、お魚を買うときも、値段と形をしっかり見極めてくれていました。
でもここ最近は、形をしっかり見ているようで、見ていないことも多く、鮭を買うつもりだったと思うのですが、ぶりを買っていました。
夕飯にそのぶりを使うと、「鮭を買ったのに?」と不思議顔。
他にも、欲しい気持ちが先張りしすぎて、結局意に染まないものを買ってしまって、あとから公開して、買いなおすということも多々。
例えば「りんご」
赤いリンゴを所望していたのに、そのスーパーには黄色のリンゴしかなかったので、義理ママは黄色いリンゴを購入。
「リンゴが食べたい」という欲求があったからです。
ただ、そのリンゴを冷蔵庫に入れたまま放置。
3日後の買い物で、赤いリンゴを購入しようとしたので、オニ嫁が「リンゴはありましたよ」と伝えたけれど、赤いリンゴをカゴに入れました。
家に帰ってきてから、黄色いリンゴを見せましたが、「うん」というだけで、結局赤いリンゴを食べ、黄色いリンゴは放置。
さすがにまずいので、オニ嫁が食しましたが・・・
昔から、気に入ったものだけを身に着け、履いて、食べていたというのが旦那さんから聞いたことです。
旦那さんも気に入ったTシャツだけをお休みの日になると必ず着ていたので、同じなんだろうと思えました。
確かに気に入った曲はずっとリピートするし、好きなものはほとんど変わっていませんが、義理ママのように、仕方なく購入したものでも、購入した責任はあります。
だからこそ、黄色いリンゴも食してほしかった。
でも、今までの傾向からすれば、絶対にスルーする。
恐ろしいくらいのスルースキルがあるのです。
目の前にあるのに、自分の気に入ったものしか目に入らない。
脳溢血をしてから、特に顕著です。
というのも視界が狭まった分、見えるものも幅が狭くなったし、身長も低いので、スーパーの棚の一番上などにあったとしても、そこを見ることはほぼない。
ただ、牛乳だけは、ストロー付きのカルシウム入り牛乳が棚の一番上の段にあっても手を伸ばす。
はっきりは見えていなくても、なんとなくほしいもののパッケージは分かるので、それを探しているのだと思います。
また、糖尿病のため、出かける際には飴を持ち歩きますが、ミントキャンディがお気に入りで、パッケージが少しでも異なるミントキャンディには目もくれません。
きっと口に入れた時の大きさなんかにもお気に入りがあるのだと思います。
血液型で判断するのはあまり好きではありませんが、B型の義理ママは分かりやすい。
そしてB型の義妹も旦那さんも分かりやすい。
食べるもの、着るもの、履くもの、好みが一貫しているので、代替品を購入しても一切手を付けてもらえないのが現状です。
なので、不足したとしても、代替品で賄おうとは考えなくなりました。
よく似たものを買うよりは、全然違うものを購入し、物珍しさから一度は口にしてもらうという方が効率的なのかもしれません。
それが気に入れば、それもお気に入りの一つとして覚えておけばいいし、次に手を伸ばしてこなければ、これはお気に召さなかったんだと思うようにしています。
私自身目が悪いので、裸眼でぼんやりとしたまま買い物をすると、日付は見えないし、よく似たパッケージのものを購入してしまい、「違った」と思うことがあります。
義理ママは加齢によって、そういうことが日々起きているのかもしれません。
身をもって知るというのは難しいことではありますが、よく似た体験をして、それに置き換えることで、相手の不便さが分かる気がします。
ライフオーガナイザーはクライアントに寄り添って、クライアントにあったルールや片づけを提案します。
同じになれなくても、置き換えたり、想像したりしながら、相手に寄り添って考える。
私のライフオーガナイザー観かもしれません。
LO的 母の日に贈るもの
ライフオーガナイザーのKuraです。
先日は母の日。
同居している義理ママには旦那さんと合同で、ビールを1ケース。
第2のビールですけど・・・
毎日1本のペースで飲んでいるようです。
ようです・・というのは、実際に飲んでいるところを見たことがないから。
ただ、洗面所のごみ箱に空き缶が入っていることもあるし、旦那さんとは違う銘柄の缶があることから、義理ママが飲んでいると思われます。
一緒に買い物に行くと、6本ケースをカゴに入れるし、なければ探しに行くのだから、好きなのでしょうね。
ただ、持病があるので、ほんとのビールはやめて、第2のビールに自ら切り替えた健康を大事にする義理ママです。
私は実用品の方がいいと思うので、ビールは消耗品だし、義理ママのことを考えた母の日のプレゼントだと思っていますが、義理ママはカーネーションを期待してい野かもしれません。
というのも、義理ママのイベントは一般的なものを望むタイプ。
母の日はカーネーション。
(花束でなく、鉢植えがお好みのよう)
お正月はおせち料理。
(昔ながらのおせち料理を好みます)
そうめんはガラスの器に入れるもの。
(私はそうめんのめんつゆもお椀でOKの人・・・)
サンマは四角い皿に盛る
(私は四角い皿の大きさに入りきらないので、丸皿に盛りつけてもいい)
カレーはカレー皿に盛る
(私はご飯と別でもいいので、シチュー皿を兼用)
こんな風に、色々と義理ママの好みがわかってきています。
ただ、今までのように義理ママも自分で何かをすることが少なくなったので、色々と端折る部分が出てきました。
もちろん、私が全く気にせずに盛り付けたりするのに、少し慣れてくれたのであればいいのですが、やはり自分とは違うものを受け入れるのは難しいものですね。
私はもともと食器は使えればいい派。
あれこれ食器に役割を持たせて、色々と持つのはあまり好きではありません。
兼用できるなら、出来るに越したことはないと思うので、義理ママのこだわりが理解できなくて、寄り添うことが出来ていませんでした。
ライフオーガナイザーなのに・・・
中々、近しい人にはできないもの。
感情が先に立ってしまうのかもしれません。
これがクライアントであれば、違ったのでしょう。
では義理ママをクライアントだと思えばいいのかもしれませんが、根本的に異なるのは、義理ママが困っていないこと。
自分が好き勝手しても、後片付けは息子(旦那)と娘(義妹)がいる。
そんな思いがあるのだろうと思います。
嫁が一人でイライラしたところで仕方のないこと。
義理ママの出来る範囲で、満足するところまでしてもらって、あとを引き受ける。
今はそれが一番いいのだと思えます。
家にいることで安心できる義理ママは認知症が進んでも、きっと家にいることを望むと思います。
家にいることが分からなくなったら考えますが、今は自分の部屋とリビング、お風呂とトイレをすべて自分でこなしてくれる。
ありがたいと思うし、もう少しお願いしたいと思っているので、義理ママの出来る範囲を見極めながらお願いしていこうと思っています。
去年よりは出来ることが少なくなったと感じますが、それでもまだ大丈夫。
義理ママの好むもの。
食べ物でも着るものでも、履くものでもなんでもいい。
変化しているかどうかを知るのが、嫁の役目と思っています。
自分の乗ってきた車の位置が分からなくなった。
スーパーの陳列棚の位置が変わったら、出口が分からなくなった。
でも、私や夫を探して見つけることが出来るので、今はそれをフォローするようにしてあげればいいと思っています。
ずっと家にいて、散歩くらいしか外に出ないのは健康上良くないし、景色が変わらないのも良くないと思うので、週に一度の買い物は義理ママに刺激を与えるタイミングなのかもしれません。
買い物の時間は長くなるのは、歩くスピードが遅くなったこと、一つ一つを手に取って、商品棚に返すまでの時間が長くなったこと、同じスーパーに行っても、自分の欲しいものが中々見つからないこと、前の場所を覚えていないこと、少しずつ変化していくところを見ていることで、苦手なことが増えてきたらサポートする。
これがオニ嫁である私のやり方です。
買い物に連れて行かないということも案の一つではありますが、それではもっと悪くなってしまうかもしれない。
買い物という責任を持つことが義理ママにとってもいい刺激になっていると思います。
日用品の不足、自分の部屋の備品の不足、季節ものの購入など、義理ママの周りのことは義理ママに任せています。
だから、不足しているものは義理ママが覚えておく必要があるのだと責任を持ってもらっている。
(一応、買い物前には冷蔵庫の中とトイレなどの日用品の確認はしてます)
多く買いすぎる場合もあるし、まったく思い出さない場合もあるから、そこをフォローするのが、買い物での私と旦那さんの役目でもあるのです。
今年も贈り物出来ました。
来年も同じようにビールを送ることが出来ればいいと願っています。