LO的 もう少し様子を見ることにしました3
ライフオーガナイザーのKuraです。
引き続き、義理ママの話題で。
夫と二人で病院に行き、インスリンをお返ししたそうです。
そして、少し「認知症」が始まっているのではないかとのことで、インスリンの量を調整し、インスリンではなく、飲み薬にする方向で、治療していきましょうと提案されたとのことでした。
インスリンを打つのは朝なので、朝だけのデイサービスも考えてもいいかも・・・というのがお医者様のお言葉だそうです。
インスリンは自分で打ちます。
それはなぜかというと、同じ単位を基本的に打つのがいいのですが、体調により、単位を調整することもあり、その体調は本人にしか分からないからです。
ただし、認知症になると、インスリンの過剰摂取や単位ミスの打ち間違いなどもあるため、出来るだけインスリンではなく飲み薬に切り替えるのだそうです。
もしくは、デイケアの方にお願いするのでしょう。
認知症のテストや診断をしたわけではないので、はっきりと「認知症」の診断をいただいたわけではありませんが、年齢も年齢のため、その認識でいた方がいいということなんだと思っています。
別に「認知症」という診断書が欲しいわけではないので・・・
ただ、だんだんと難しくなる日常生活のあれこれ。
それに対して、私たちがそろそろ本腰をいれて考える時期に来ているのだと思います。
結構義理ママに甘えてたので・・・
そして、義理ママが世話したがっていた義妹にも腹をくくってもらう必要がありそうです。
それなりに義理ママを見てくれていますが、義理ママに頼りきりの日常生活を少しずつ自分でやれる方向にしてもらいたいと思います。
もう少し様子は見るのですが、少しずつ義理ママの負担を軽くしていくように考えないといけないなぁと思うようになりました。
フルタイムパートの仕事ではありますが、そこも少し相談するとかね。
とはいえ、まだまだお金が必要なので、フルタイムパートはやめられないのでしょうけれど。
今年80歳になった義理ママ。
80歳といえば、立派な高齢者。
でも、何もできない人じゃない。
自分でしようとする気力を奪うようなことはしたくない。
日常生活のあれこれをちゃんと見ておくことにしようと思います。
LO的 もう少し様子を見ることにしました2
ライフオーガナイザーのKuraです。
5月末、夫から連絡がありました。
「おかあさんが毎週、通院してインスリンをもらっている」
心当たりはないか・・・とのこと。
どうやら、5月中旬から毎週病院に行って「インスリン」を受け取っていた模様。
三度目にして夫あてに連絡が来た模様。
心配なのは、インスリンの打つ量を間違っていないかということ。
そして薬を飲まずに、インスリンで調整しているのではないかということ。
どちらも「低血糖」を起こしやすく、もちろん取り過ぎはNG。
もともと、薬を飲む習慣を忘れてしまうことも多く見られたので、そちらは夫にも情報共有していましたが、インスリンまでは把握していません。
朝、起床したあと、インスリンを打つときは、すぐに口に糖分を入れれるようにしているのは知っていますが、インスリンの量は確認したことはありません。
打っているのは知っているし、インスリンを打っている場所もなんとなく知っています。
ただ、打つ量だけは私が把握することではないと思っていのかもしれません。
本人の体調にもよるので、毎日決まった量を打てばいいというものでもありません。
本人の体調は本人にしか分からないという言い訳のもと、知ろうとはしなかったのかもしれません。
今回、1度めは1か月に一度の通院ということで「飲み薬」と「インスリン」。
次の週には「インスリン」をもらいに行き、3週目には「インスリン」と「飲み薬」の1セットを所望したらしく、看護師さんがおかしいと思って、夫に連絡してきました。
夫は帰ってすぐに、義理ママに確認したとのこと。
私は残業続きで帰りが遅かったこともあり、その場に立ち会ってはいませんが・・・
義理ママの部屋に薬とインスリンがあったそうです。
片づけた覚えもなければ、受け取った覚えもなかったようでした。
ただ、インスリンの打つ量を間違っているとか、薬を飲まずにインスリンで調整しているといったことではなさそうで、低血糖などの症状は出ていない様子。
夫の通院時に、インスリンと飲み薬をもって、義理ママも一緒に病院に行く予定とのこと。
ただし、夫も月に1回の通院でいいので、6月になってからでいいとのことでした。
なので、楽観視していましたが・・・
6月に入り、先日のこと。
「注射針」をもらいに病院に行ったと、看護師から夫に連絡がありました。
「インスリン」とセットでもらう「注射針」。
それだけが減るなんてことはないはずだし、この間2セット渡してるから家にありますよね?という確認の電話でした。
夫が確認したところ、注射針もあったとのこと。
少しずつもらったものを忘れてしまっているようです。
そして、あるであろう場所(この場合、義理ママがあると思い込んでいる場所)にない場合に、慌てて病院にもらいに行くという構図でしょうか。
一概に「認知症」が進んでいるとは言い難いのですが。
脳梗塞をしてから10年以上が経ち、義理ママも80歳の大台になりました。
急激な体力の減少があってもおかしくない年齢です。
脳溢血の後遺症は「お風呂の温度」にも表れています。
冬場は寒いので42度設定。
夏場は厚いので40度設定。
ただ、義理ママの後に入ると、肌が真っ赤になるほどに熱い。
熱すぎて、ゆっくり浸かることが出来ません。
前から少しずつ熱いなぁ・・・と思っていましたが、今では夫も同様に思っているようで、義理ママの後に入るのを躊躇します。
そして、今日もまた熱いお風呂でした。
義理ママに聞いてみたところ、「熱さが感じられない」とのこと。
皮膚感覚が少しずつ衰えているようです。
嗅覚、温度感覚が麻痺してきているのが分かります。
そして、痛覚も少しずつ鈍っているようです。
だからと言って、日常生活に支障があるわけではなく。
嗅覚の衰えで怖いのがガス漏れ。
これは台所のオール電化で解決しています。
温度感覚については、お風呂の温度くらいで、あとはもともと水を使うので、やけどをするようなこともありません。
そして痛覚。
これは、若干難しいものではありますが、日ごろから足元に何かを置いておくことをしないでおくし、義理ママ自身も転倒などには気を付けています。
視力と聴力も少しずつ悪くなっているのは、糖尿病のせいでしょう。
五感的には少しずつ衰えているのは分かっているのですが、それは老化現象の一環でもあり、責めるようなことではないので・・・
今日は記録簿として。
LO的 四半世紀してきた仕事
ライフオーガナイザーのKuraです。
学校を卒業後、社会人として仕事を始めてから、四半世紀を過ぎました。
一つの会社でずっと仕事をこなすというスタイルではありませんが、ほぼほぼ、何かしらの仕事をして、生活をしています。
「働かざるもの食うべからず」
実家ではそういわれ、何はともあれ、何かしらの仕事を持つことで、ようやくご飯を食べさせてもらえるというスタイルでした。
別にニートでも食べさせてもらえなかったわけじゃないのですが、祖母の教えとして私の中に息づいています。
そのため、1週間くらいのお休みは喜べますが、1か月以上のお休みとなった場合は、少しでもお金を稼ぐ方法を考えてしまいます。
そんな中で、今年に入って、1~3月は思ったよりも忙しかった。
そして、4月に入ってからは、案の定忙しかった。
5月はGWもあり、輪をかけて忙しかった。
なのに、6月もすでに忙しい。
すでに10日がすぎたのに、忙しさが半端ない。
仕事の量が不適正かと言われると、そんなこともない。
こなせないわけではない量であり、毎日のほんの少しの残業でなんとかなってしまっている。
ただし、忙しいと私は自分を見失うこともある。
そのために、リマインドやToDoを明確にして、自分で予防することも忘れない。
CLOになり、学習障害を学んだことで、自分がどういう覚え方をするのが得意なのかを知ることが出来ました。
昔から書くことが好きで、書いて覚えることで、試験を乗り切りました。そのため、それが通用しない実務系の試験はあまり得意ではありません。
そんなことを考えながら、今の仕事で必要なことを鑑みて、自分なりのルールと方法で乗り切っています。
・毎日のスケジュール管理
・朝一番の「本日の業務」メッセージ
・帰る前の明日のToDoメモ書き
これは、飽きっぽく、忘れっぽく、そして思い込んだら一直線となる私の行動にブレーキとナビをつけているような感じです。
当日、何をするのかを思い出し、やらなきゃと慌てる私には、朝のアラームはブレーキの役割を。
持ち越し事項や、頼まれごとなどを帰宅する前に、明日やるべきことをメモ書きしておくことは、行動のナビを予約設定する役割。
複数の案件ごとに、調整ごとが入り、調整先も異なります。
そして、同じ時期にリリースすることが決まっているため、同じような作業があちこちで発生するため、その発生タイミングを抑えて、コントロールしなければならないでしょう。
複数の事柄を並行して、半年以上のプロジェクトを管理するために私が自分で自分にしてあげられるケアでもあります。
仕事の失敗は自分の準備不足が原因で起こることが多いのです。
自分の準備不足というのは、絶対に自分が後悔します。
次の時まで引きずる可能性も馬鹿にできません。
自分にとってマイナスでしかない準備不足。
だからこそ、回避できるように考えた結果です。
色々仕事をしてきた中で、自分だけのルールとして構築されたもの。
今は、それがあるだけで安心なのです。
自分ルールは自分だけのものです。
ただ、そのルール作りや構築は、プロがお手伝いすることが出来ます。
私はライフオーガナイザーを学び、CLOも学ぶことで、マイルールを構築しています。
時間管理や情報管理などで困った場合は、ぜひ、ご相談ください。
LO的 備忘録のようなもの
ライフオーガナイザーのKuraです。
6月に入って、バタバタと事が動き始めました。
と言っても、遅い・・・のですが。
もう少し前から、前もって動く準備をしてほしいものですが、これは日本の会社として、当たり前のことなんだと実感しています。
手を動かす人の身になって、物事を考える。
ミクロ的考えてほしいということです。
マクロ的な視点はとても重要ですが、そのマクロと構成するのはミクロです。
ミクロの内容までも把握しろとは言いませんが、マクロに対するミクロの準備時間があまりにも短く、繊細さを求めるために、とても苦労するのです。
それに、見てみないとわからない。
これも何度となく言われています・・・が、見ないと分からないのか。とも言えるわけです。
数字はこうなる予定。
その数字の元ネタはここから必要。
予定はマクロ。
必要はミクロ。
この内容を押さえるのが、仕事じゃないのか?
誰に向かって言ってるわけではないのです。
私自身に向かって問いかけていると言ってもいいでしょう。
改めて、マクロとミクロの関係を、私の中で整理していく必要がある。
そこに、自分が押さえるべきポイントがあるはず。
今、自分に与えられた仕事の内容をもう一度振り返るいい時期なのかもしれません。色々と試すのも必要ですが、時間がない場合は、振り返って、最善の方法に必要な材料を集めておくこと。
集める材料の質が高ければ、精査する時間を省くことが出来るし、説明の場でもはっきりと言うことが出来ます。
現状はとても難しいかもしれませんが、考えずに仕事をするよりも絶対にいいはず。
最初からそれが出来ればいいのでしょうが、そこはちょっとだけの甘えとして言わせてもらえれば、環境を見極める時間も必要だったということになるのでしょうか?
次の月曜日からは、自分の立ち位置の確認と自分の方向性を見極めること。
出来もしなことを「出来ます」というスタイルはもう必要なし。
「出来ます」というはったりが必要な場面もあります。これからもあるでしょう。
ただし、今は「出来ます」というはったりは不要な場面なので、出来るだけ慎重に、出来ることを見極める。いい方向に向いたら、そこに向かって全力でサポートする。
これが今の私の仕事なのかもしれません。
会社にいれば、方向性は振ってくるものと思います。
自分自身の意見がないと流されると言われますが、会社の指針や方針は自分が役員でない限りは上で決定し、その方針に則って動くものです。
上の意見が下を左右する。
これはどの会社でも同じ。
そして、振り回す上のいる会社は大きくなるチャンスがあるということでもあります。
ふらふらする上司であれば別ですが、会社の方向性は景気の動向にも左右されます。
だからこそ、自分の仕事はまっすぐ揺るがずに、方針にいつでも対応できるようにしておくこと。
振り回すという意味でいうなら、資料の文字の大きさやタイトルのてにをはを気にするという意味ではありません。
作っていた資料の内容の方向変換という意味です。
景気などの外の空気によるもの、社内の動きに対する中の空気によるもの、思惑は色々あって、タイミングによっては変わってしまうものも多い。
資料を作るタイミングと発表するタイミングでは全く異なる結果が出てしまうことは往々にしてあるあるなのです。
だからこそ、どんな方向になっても揺るがない何かを持つというのはとても難しいことではあるので、その時に応じたものに自分が乗り切れるか、それが仕事として必要になってくるのだと思っています。
「自分がない」
「人に依存している」
そんな意見もあるかもしれませんが、働く私の基本姿勢は「流されているのではなく、流れている」です。
ただただ流されるのでは、振り回されて疲れるだけです。
どうせ何かが変わるのだからと自分が流れるスタイルを作る。
誰かのせいにするのではなく、満足したものにとらわれず。
毎日、毎日、変化するであろう仕事に楽しみを持ちたい。
余裕の連鎖ですっきり・・・
ライフオーガナイザーとしての私の信条が仕事にも通じる気がします。
LO的 今年のスケジュール
ライフオーガナイザーのKuraです。
今年も6月に入り、前半戦の締めくくりとなっています。
今年の目標も、仕事を持っていることもあり、つつましいものでしたが、これがひょんなことから実現に向かっています。
①独自セミナーをする
②ボイスマルシェの相談が来る
③CLO関連の作業に携わる
そんな中、色々とスケジュールが埋まってまいりました。
まずは、セミナーが1つ。
これはNPOからの依頼です。
2時間の長丁場。一人で二時間持つだろうか・・・
そして、CLOの勉強会ファシリテーター。
こちらも初めて。
果たして、人が集まり、その人たちを見ることが出来るのか?
ボイスマルシェでは、ご相談の依頼がありました。
終わってはいないものの、今年中の目標は達成できそうな予感。
とはいえ、ファシリテーターは未経験だし、セミナーも資料の作成は今から。
なので、スタートラインに立っただけなのかもしれません。
LOの仕事はもちろん、細々と続けていければいいなぁと思っています。
そのためにはいろんな経験も必要になるなぁとも。
とはいえ、今年は平日は仕事にかかりきりになってしまうだろうし、土日に余力があるか微妙なところ。
でも、少しでもやりたいなぁと思うのです。
「出来ない」「自信がない」そう思う方が簡単で、何もしなくても時間は過ぎるし、人生も過ぎていく。
私はどうせならもう少し刺激的に生きたいと思うのかもしれません。
この「刺激的に生きたい」は衝動的でもあり、多動的でもあり、こういう考え方はADHDよりになるのではないかと思うときもあります。
ちまたでは「グレーゾーン」と呼ばれる範囲に入ってしまうかもしれません。
衝動的にやってしまったことで、今まで痛い目にあったこともあります。それが次のステップを躊躇させる原因になったこともあります。
そして、フラッシュバックで唐突に思い出してしまうこともあり、日常的にそれが起こるのにも慣れました。
それが私の中での「当たり前」なことなのだと思うようになったからです。
他の人とは違う、私だけの「当たり前」。
それは「特別=スペシャル」ではなく、「私だけ=オンリーワン」だということであり、それが他の人には伝わらないし、悪意ある取り方をされてしまうことも多い。
子供のころはそれが分からなかったし、だれも教えてはくれませんでした。
でも、中学ではその行動が周りの人から距離を置かれる原因になり、高校では「私が思うこと」が多少変わっていたとしても誰もそれを「変だよ」とは言わなかった。
そして、専門学生となり、そこでは「私らしさ」がいいと言われるようになった。
世界は広がったけれど、今でも私自身の考え方や思うことが他の人にどんな印象を与えるのか、不安になることが多い。
「一般的」がとても難しかった。
「普通」という言葉がとても難しかった。
秘書マナーを学んだことで、考え方を変えることが出来たし、資格を持つことで「私」はスキルで生きていくことが出来るようになった。
協調性がないとか、資料を作ると毎回同じ個所を間違えるとか、毎回計算ミスをするとか、私は仕事では絶対に優秀な人材ではないと思う。
でも、その分をマルチな考え方や、柔軟なスタイルでカバーしている。
手に職を・・・と両親に言われて取った資格も、なんやかんやと役に立っている。そう思うと、私はグレーゾーンでも生活できている。
だからこそ、グレーゾーンで生活に困る人、明らかに困っている人のことを少しでも同じ位置から助けたいと思う。
出来ないから困っているし、出来ないことを感じていないから、周りから浮いてしまうこともある。
そんなギャップを埋める仕事がしたいと思っているのです。
発達障害や学習障害を学ぶたびに、自分も同じような経験をしていたからこそ、もっと早く知りたかったし、知っている今、それを誰かに伝えたいと思う。
そんな気持ちで今年は動こうと思っていたので、自分が動くことによって何かが生まれるなんておこがましいと思ってしまう。
でも、私という存在がいることを思い出して・・・と伝えたいから動く。
少しでもお役に立ちたいと思う気持ちだけは今年も持ち続けている。