まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 毎日が情報収集 その2

「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」

ライフオーガナイザー Kuraです。

引き続き、同居中の義母についての覚書みたいなものです。

精密検査を受けていただきました。

病院からは慌てて入院を勧めることもないので、楽観視しています。

とはいえ、義母のことを見ている余裕のなかったここ数か月。

少しは義母を見て、変化に気づけるようになりました。

義母は「出かける」というと、身だしなみを整える。

美容院にも行く。

お薬の飲み忘れは多いけれど、最終ラインのインシュリンだけは必ず忘れない。

出発時間を伝えれば、それに合わせて行動できる。

部分的な脳の障害はあるかもしれませんが、全体的な認知障害とは異なる気がするのです。

 

今年は実家の母親の入院、退院、実家の父親の入院と退院、やっとおちつく三月半ば。

そのはずだったのに、義母の兄弟(長男、独身)が脳溢血で倒れて入院となり、その世話や入院費用をめぐり、兄弟でいろいろと内紛している様子。

耳の遠くなった義母にとって、聞こえなくていいことではあると思う反面、兄弟のことだから心配だと思うと、それはそれでストレスになるだろうと考えてしまう。

半身まひで、時折危篤状態になることもあるらしいと、この間初めて義母が話した。といっても、義母は蚊帳の外らしい。

義母は自分で車を運転することも出来ないので、誰かに頼らなくては出かけることができない。

それを知っている兄弟は、義母への連絡を後回しにしているのかもしれない。それがいいことか悪いことかはわからないけれど、義母は受け入れているようにも見える。もちろん、こんな時にだけしゃしゃり出てくるヒトは必ずいるけれど、最終的に独身の長男の面倒を見るのは誰なのか?

近くに住む兄弟?兄弟が無理ならその家族?家族といっても、自分たちの暮らしがありリズムがあるわけで・・・

自分たちは昭和スタイルで暮らしてきたとしても、子供家族はすでに自分たちのスタイルを確立して生活しているのだから、そこを曲げろというのは衝突を生むだけ。

自分の面倒を見てほしいという親の気持ちは汲めても、親の兄弟まで近くに住んでいるのだからという理由で面倒を見るのはわけが違う。

いつかは出るだろうと予想はしていたけれど、自分たちが軸を持って意見を言えなければ、感情的になってしまうだろうと思う。

自分も年を重ねるということは、周りも年を重ねるということ。

自分たちだけで解決できることが少なくなっていくのも、体の衰えとともに感じます。

しがらみは少ないほうがいいけれど、周囲と関係性のある地域に住めば、それは決して切り離すことのできないことだと思います。

昔の風習というよりも、昔の人がまだ生きているのだから、その人の価値観や習慣を相手に押し付けるのは当たり前で、そうやって過ごしてきた人に、今更自分を変えようと諭す気はありません。

ただ、「あなたの当たり前を私は受け入れられません」と言い切るだけの軸を持つことが出来れば、少しは楽になれるような気がします。

言いたいことはいうけれど、相手の価値観を変えさせたいとは思わないし、つぶしてしまおうとも思っていないのです。

ただ、「そういう考え方があるんだなぁ」と思うにとどめる。

そうして、自分ができる範囲のことをするのが、相手にとって一番の誠意ではないかと考えます。

相手を恨みたくない。

相手のせいにしたくない。

自分が出来る範囲で出来るだけお手伝いする。

今の私のスタンスはこれに尽きるのです。