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「余裕の連鎖で心も身体もすっきり」
ライフオーガナイザー Kuraです。
引き続き、同居中の義母についての覚書。
2月に帯状疱疹を発症し、顔は治ったものの、右側の頬のあたりが腫れているといっている。そのため、湿布を貼ろうとする。
祖母もそうだったが、腫れているときは湿布らしい。
でも、その感覚は腫れているからではないので、湿布をするとかぶれてしまうのではしまうのではないかと思い、冷えピタにしてもらった。
新生児用のもので、貼ることで治るという意識の問題かもしれないから。
夫はそういう対処を知っているわけではないし、男性はやはり現実的なのだと思う。
母親である義母に対しても、ビジネスのように順序立てて話をする。
でも、既に義母は順序立てて話をしても、すぐにわすれてしまう。
例えば、買い物に行ったときのこと。
ローテーションで買い物へ行くスーパーを決めている。
同じところでは刺激が少ないかと思ってのことだ。
それが仇になったのか、今日は義母の好きなパンコーナーがスーパーに入ってすぐにあった。
義母はパンを購入し、ぐるりと一周して、夫に尋ねる。
「パンコーナーはどこにある?」と。
パンを買ったはずなのに、もう一度行きたいのかとおもって、カゴに入っているパンを見せる。
「これは買ってあるけど、足りないものがある?」と声をかけると、一瞬戸惑った表情だった。
自分で選んだパンを忘れていたようだ。
その後、支払いを済ませたとき、夫が私に尋ねた。
「ふりかけ、さっき買ってただろ?」
「のりたまとさけのふりかけを買ってたよ」
「今、レジでふりかけを買ってたぞ」
帰り道、義母にふりかけをことを聞いてみると、「これを買った」と見せてくれた。
「のりたま」と「たらこ」だった。
「たらこがほしかったんですね」
そういうしかなかった。
「のりたまはみんなが食べるから、重複してもいい」
そう言ったけれど、正直、夫と私は「マズイ」としか思えなかった。
2月の帯状疱疹発症以降、急激に何か崩れている気がする。
義母はあまり自分のことだが、変化に戸惑っていないようだ。
ということは、今までと同じだと思っているということであり、今までのようにふるまうだろう。それを私たちが指摘しない限りは、自分が出来ていないと思わないとおもう。
日付や時間、少しずつ曖昧になってきている。
その不安がゆえに、カレンダーをすべての部屋にはって、時計をいくつもリビングに置いていたのに、このごろはそれすらも見ていない。
こうやって、私にも夫にも目に見えてわかる現実。
今週の精密検査で、少しでも不安が解消できればいいと思っている。