LO的 今年の抱負を語る前に
ライフオーガナイザー Kuraです。
年末年始のお休みは満喫出来ましたか?
私は実家に帰りましたが、年末年始のカウントダウンの中、ほんの少し看病に追われていました。
紅白初出場を楽しみにしていましたが、リアルタイムで見ることは叶わず、録画しておいてよかった・・・としみじみ思っています。
実家に帰って、おせちを作る手伝いをするのが、嫁に行ってからの年末年始の過ごし方です。
年末年始を嫁の実家で過ごすダンナ様と一緒に里帰りです。
特別何かをするわけではありませんが、大みそかにおそばを食べて、元旦におせちを食べて初詣に行く。
実家に居た時のルーティン作業。
初詣の場所はその時々ですが、今回は氏神様にお参りに。
榊を捧げて、お神酒をいただいて、由緒正しい初詣。
身も引き締まる思いです。
まぁ、年越し時には看病していたこともあって、元旦は家族全員で昼寝。
それこそ、10代や20代の時には実家で年越すことなんて殆どなかったと思います。
友達とカウントダウンすることの方が大切だった気がするのです。
でも、30代になり、結婚すると、ダンナさんとカウントダウンすることになります。
あぁ、もう彼らのカウントダウンコンサートには行けないのか・・・と思いましたが、今回は紅白初出場。
嬉しかった。
中々、本題に入れませんね。
今年の抱負を語る前に・・・手帳に昨年の見直しを記入しませんか?
抱負に対する反省点といいましょうか?
抱負をどれくらい出来たのか、きちんと把握することで、新しく抱負を語ることが出来ると思うのです。
私は2016年はちょっと中だるみしそうだなぁって思いました。
数を決めたりして、明確に目標を持つことにしました。
結果はまぁ、70%達成といったトコロでしょうか?
数には達しませんでしたが、新しいチャレンジをしたこと。
チャレンジしたことによって、新しいチャレンジに声を掛けていただいたこと。
色々とあがくことになるだろうと思っていましたが、あがけばあがいただけの収穫はあったようにも思います。
今年はまだ抱負を語れるほどではありません。
でも、三が日の行動を思い出して、もっと優しくなりたいなぁと思いました。
優しいというのはとても難しくて、自分に甘いのが優しいのではありません。
他人に厳しいのが優しいのではありません。
その人にあった優しさを提供出来るといいなぁと思います。
ライフオーガナイザーは一人ひとりの仕組みを作るプロ。
そんな仕組み作りにも優しさがなければ、相手が継続しようとは思わないでしょう。
ライフオーガナイザーは優しさも必要なのです。
その優しさが目に見えたり、ありきたりなモノではなく、相手にとって本当に役に立つ優しさになるように心がけたいものです。
あぁ、これが今年の抱負になるのかな・・・
ちょっと大きい野望みたいで、もう少し細かく考えることにします。
抱負と野望は違いますから・・・
LO的 心が荒むと体も荒む
ライフオーガナイザー Kuraです。
昨日見た夢は本当に悪いモノでした。
寝る時にイライラしたまま寝てしまったからかもしれないし、体調も悪くて、精神的にも良くない日だったからかな?
いつもこんな夢を見て目を覚まします。
文句を言っているのに、全然すっきりしない。
きっと文句を言っても解決しないし、夢の中での相手も自分も嫌な思いをするだけだと分かっているから。
どうにもならない過去を掘り出して、今更ケチをつけても、今の自分にも相手にもどうすることも出来ないし、今更どうしろと言うしかないはず。
それなのに、夢を見て、叫んでしまう。
後味の悪い夢でしかないのです。
夢の中で出てしまうことは、誰かにぶつけて「いいよ」と言って欲しいコト。
でも、私自身が、自分を認めていないから、許していないのです。
私が私を嫌いである以上、この夢は生きている限り見る夢なのです。
私は私の事が好き、でも嫌い。
矛盾する感情と付き合ってきています。
感情の乖離が大きいほど、精神的に不安定になり自傷行為も増えるのです。
基本的に自傷行為と言って思いだす行為ではなく、指の爪を深爪になるまで切ってみたり、指のささくれを無意識にとったり、唇の皮をめくったり・・・
元々、痛いところを触る傾向はありましたが、治療するほどのことはないと今まで来ました。
気持ちに引き摺られることが多いので、病気ではないので、自分で歯止め出来るうちはそれでいいかと。
ただ、少し神経質だったり、心配性なだけだと思うのです。
乱れると、自傷行為につながってしまうことも分かっています。
片付かない思考が片付かない感情に結びつきます。
無理矢理片付ければ、その時は落ち着くけれど、あふれ出てしまった時にいつも以上の自傷行為が出てしまいます。
なので、あふれ出てしまわないように、スペースを作って決めておくことが大切です。
スペースとは、感情を一時的に置いておける場所です。
そこに置けば、一旦忘れることが出来る場所。
それは「整える」場所ではありません。
ただ、整えられない感情を持ちっぱなしでは、ずっと自傷行為が続くので、感情を一旦手放すための場所なのです。
一旦置いて、見つめ直す。
一旦置いて、一息つく。
これが、整えるためには必要なのです。
分かっていても、引っかかる感情をどうにも自己制御出来ない時もあります。
それが出てきたら「出た」という心構えが出来るのは、このスペースがあるから。
「まぁいいか」と思えるまで、慣れてはきたけれど、それでも心は荒みます。
そんな時は、どんなにいいことがあっても、素直には喜べない。
2,3日は引き摺る。
引き摺ったままでいることに疲れて、初めて、そのスペースに押し込むことが出来るときもあります。
コレの繰り返しなのです。
ライフオーガナイザーになって、自分の思考をどうやって扱えばいいかを考えることが出来ました。
私は、思考や感情を理論的に論破しようとしても無駄なので、思考も感情も一旦は受け止めることにしました。
だから、その置き場所を自分の中に作ることにして、それからそれを俯瞰して整える。
紙に書いてもいい。
声に出してもいい。
泣いてもいい。
別の趣味に気持ちを逃がしてもいい。
そうやって、一旦自分の感情に雁字搦めになっている自分を解放してあげるのです。
解放することで、大きく息を吸う事が出来るから・・・
LO的 年末はお掃除情報が満載です
ライフオーガナイザー Kuraです。
年末は情報番組はこぞって「掃除特集」をしますが、一年間掃除をしない人は、年末もそんなに掃除しないと思う・・・と思うのは、偏見でしょうか?
電化製品の紹介や、手軽に出来るという掃除グッズ。
でも、結局するのはお母さんなんですよね?
その放送時間帯とか、ターゲットは。
なんで?
実家は雪が降るので、窓ふきなどはあまりなくて、自分の部屋を片づけましょうっていう程度だったこともあり、あまり大掃除をした記憶がありません。
昔だから、エアコンもなかったし、換気扇も驚くほど汚れたりはしなかった様な気がします。
仕事場の方を大掃除するけど、子供である私たちには危険物が多すぎて、あまり戦力にならなかったし。
大掃除って、どちらかというと、学校で期末の大掃除の方が記憶にあります。
だから、今もそんなに張り切ってすることはなく、ダンナさんがするので、おんぶにだっこ状態です。
ダンナさんの方がよく働く。
情報番組の洗剤とかみると、ついつい試したくなるって言ってた。
今年も、蛍光灯カバーの掃除はしてもらいました。
あとはIHコンロとか、いつもの掃除を少しだけ頑張る予定です。
これが、うちの大掃除・・・になるんでしょうね・・・
さて、話は変わって、クリスマス前に、サンタじゃなくて、マスコミがやってきました。
この間のブログ記事で書きましたが、名古屋のお屋敷のお話です。
前回はこちら
→「LO的 「お笑い」芸について、ちょっとだけ真面目になって考えてみた。」
今日、お昼の情報番組で放送されていたそうです。
一応ね、片付いているんです。
一年半前よりは。
それは、色んな人の協力があってこそ。
それを、結局何も変わっていませんね・・・的な。
ネタがなくなる年末、いつかは来るかもしれないと思っていたのですが、勝手に来て、勝手に撮って、勝手に放送していました。
情報番組、仮にも地方から全国に放送する番組であれば、もう少し誠意があってもいいのではないかと思うのは、年齢のせいでしょうか?
番組の品位が落ちると、その番組の顔でもあるアナウンサーやコメンテーターにもいい影響はありません。
もちろん、働いている今、あの時間の情報番組を見ることは叶いません。
今回も「番組やってるよ」という連絡があったからこそ。
だから、見ていない私がとやかく言うのは、いけないコトだと思いつつも、何も変わっていない事を放送するのではなく、何かが変わったことを放送して欲しいなぁと思います。
掃除ネタがあまりにも続くと、心が荒むのでした。
LO的 カンファレンスに参加して
ライフオーガナイザー Kuraです。
一昨年に続いて、今回もカンファレンスに参加いたしました。
一昨年はCDスペシャリストの資格試験を受けるためでした。
昨年は北海道ということで、予算面なども考えると参加が出来ませんでした。
今回は、名古屋お屋敷ボランティアの話を参加者の前でするので、参加させていただきました。
名古屋お屋敷ボランティアは、まだまだ途中経過です。
ただ、条例施行が待ったなしの状態で、条例を盾に乱暴な事をされてしまう前には何とかしたいというのが本音です。
本人にもそのことを伝えたし、役所の方々も望んでいるわけではないと思い、本人がやる気を見せ始めたこともあって、今回の発表となりました。
最初はどうなる事かと思ったボランティアではありますが、本人が片づけないといけないという気持ちを持って、日々過ごしていることが伝わってきているので、もう少し、もう少しと相手に伝えながら、お手伝いしています。
ボランティアということで、費用はもらっていませんが、色々と勉強させてもらっていると思っています。
綺麗事だと言われてしまうのかもしれませんが、仕事でもそういう時期があると思います。
それを上手く活用していけるようにするのがスキルなのだと思うので、この経験が他の方へのサービスに上手く活用できるようにつなげたいものです。
他にも、ライフオーガナイザーという仕事を自分の仕事をして稼ぐ技術にすることも考えさせられるカンファレンスでした。
プロと名乗るからには、サービスの提供に対して対価をいただきます。
でも、自分とクライアントの間に齟齬があれば、それは対等な価格は難しいのが本音です。
ただ、こちらの押し付けにならないように、出来るだけクライアントの気持ちに寄り添う仕事が出来ればいいと心がけています。
それが伝わる様な仕事をしていきたいと思うカンファレンスでした。
LO的 高齢者についての考察
ライフオーガナイザー Kuraです。
早速ですが、義理ママが捨てられない精神の人であり、物を大切にする傾向があります。
それは「もったいない」の精神でもあり、特に戦時中に生まれて、戦後の記憶が子供(記憶の残る年齢)だからこそ、とても物を大切にする傾向があるように思えます。
逆に、戦後すでに成人していた場合や、戦後に生まれた場合は物を大切にするけれど、不要な物は持たない気がします。
高齢者のホーダーが増えてきていると言われていますが、子供の時に何もなかった記憶が、ホーダーを作る原因の一つになっているのではないかと思います。
そして、「洗濯機」「冷蔵庫」「テレビ」が壊れることを異常に嫌います。
住んでいるところが子供の頃から変わらないこともホーダーの一因ではないかと思うのです。
というのも、その土地に住み、自分で手にしてきたもの、モノのない時代に生まれた自分が自分で手に入れた物、それを手放すなんてと考えたこともないはずです。
若い方のホーダーは、片付けられずに残るもの、捨てる判断を誤るもの、同じものを収集してしまうもの、自分の経験が無いために、戸惑って判断ミスもするでしょう。
だから、自己判断基準を知ってもらうことで修正も可能だと思います。
修正ラインを繰り返し、手順を踏んで慣れていく。適応出来るのです。
でも、高齢になると手順を踏んで、新しく取得することは難しいことです。
今までの価値観から抜け出すのは、とても難しく、そのための判断も遅くなることも多くなります。
自分の事が出来なくなる不安と、その不安を周囲が理解してくれない不安で苦しむのです。
「同居」というフォローが今では難しいからこそ、自分の殻に閉じこもってしまう。
「大切なモノ」「将来の展望」
ライフオーガナイザーでは重要視される未来が、シニアホーダーには、困惑材料になってしまいます。
シニアホーダーには大きく2種あります。
慢性的ホーダーと老化に伴うホーダー。
慢性的ホーダーは、発達障害に付随するもので、もともと片付けが苦手で、それが当たり前の生活だった人が、シニアになった時、周囲とのギャップに気づけず、自分の価値観だけが否定されたことだけが感じられてしまい、周囲が敵に見えて、相手を拒否してしまいます。
老化に伴うホーダーは、若い人との差を体力的に感じてしまうと、今までやれたことが出来なくなってきていることにショックを受けて、イライラして、頭で思うことが解決出来ずに、不満として積もっていくのです。
どちらも片付けたいというシグナルを感じたら、出来るだけ受け止めてあげてください。
その後で、本人が出来る範囲のことかを判断します。
場所が無いのに収納家具を買おうとしたり、着ることが出来ない洋服をもらってしまったり。
「欲しい」「もったいない」という感情が先に来て、現状を把握していないと、ホーダーとして立派に溜め込んでいくのです。
貯めたら手放す、この選択を自分で出来るということを印象付けて、選んでもらうこともシニアホーダーに取って、いい刺激になるのではないかと思います。