まるくくらす

日々の暮らしを少しでも気分良く過ごすために考えていることとか・・・

LO的 年末はお掃除情報が満載です

ライフオーガナイザー Kuraです。

年末は情報番組はこぞって「掃除特集」をしますが、一年間掃除をしない人は、年末もそんなに掃除しないと思う・・・と思うのは、偏見でしょうか?

 

電化製品の紹介や、手軽に出来るという掃除グッズ。

でも、結局するのはお母さんなんですよね?

その放送時間帯とか、ターゲットは。

なんで?

実家は雪が降るので、窓ふきなどはあまりなくて、自分の部屋を片づけましょうっていう程度だったこともあり、あまり大掃除をした記憶がありません。

昔だから、エアコンもなかったし、換気扇も驚くほど汚れたりはしなかった様な気がします。

仕事場の方を大掃除するけど、子供である私たちには危険物が多すぎて、あまり戦力にならなかったし。

大掃除って、どちらかというと、学校で期末の大掃除の方が記憶にあります。

だから、今もそんなに張り切ってすることはなく、ダンナさんがするので、おんぶにだっこ状態です。

ダンナさんの方がよく働く。

情報番組の洗剤とかみると、ついつい試したくなるって言ってた。

今年も、蛍光灯カバーの掃除はしてもらいました。

あとはIHコンロとか、いつもの掃除を少しだけ頑張る予定です。

これが、うちの大掃除・・・になるんでしょうね・・・

 

 

さて、話は変わって、クリスマス前に、サンタじゃなくて、マスコミがやってきました。

この間のブログ記事で書きましたが、名古屋のお屋敷のお話です。

前回はこちら

  →「LO的 「お笑い」芸について、ちょっとだけ真面目になって考えてみた。」

 

今日、お昼の情報番組で放送されていたそうです。

一応ね、片付いているんです。

一年半前よりは。

それは、色んな人の協力があってこそ。

それを、結局何も変わっていませんね・・・的な。

ネタがなくなる年末、いつかは来るかもしれないと思っていたのですが、勝手に来て、勝手に撮って、勝手に放送していました。

 

情報番組、仮にも地方から全国に放送する番組であれば、もう少し誠意があってもいいのではないかと思うのは、年齢のせいでしょうか?

 

番組の品位が落ちると、その番組の顔でもあるアナウンサーやコメンテーターにもいい影響はありません。

もちろん、働いている今、あの時間の情報番組を見ることは叶いません。

今回も「番組やってるよ」という連絡があったからこそ。

だから、見ていない私がとやかく言うのは、いけないコトだと思いつつも、何も変わっていない事を放送するのではなく、何かが変わったことを放送して欲しいなぁと思います。

 

掃除ネタがあまりにも続くと、心が荒むのでした。

 

LO的 カンファレンスに参加して

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

一昨年に続いて、今回もカンファレンスに参加いたしました。

一昨年はCDスペシャリストの資格試験を受けるためでした。

昨年は北海道ということで、予算面なども考えると参加が出来ませんでした。

今回は、名古屋お屋敷ボランティアの話を参加者の前でするので、参加させていただきました。

名古屋お屋敷ボランティアは、まだまだ途中経過です。

ただ、条例施行が待ったなしの状態で、条例を盾に乱暴な事をされてしまう前には何とかしたいというのが本音です。

本人にもそのことを伝えたし、役所の方々も望んでいるわけではないと思い、本人がやる気を見せ始めたこともあって、今回の発表となりました。

最初はどうなる事かと思ったボランティアではありますが、本人が片づけないといけないという気持ちを持って、日々過ごしていることが伝わってきているので、もう少し、もう少しと相手に伝えながら、お手伝いしています。

ボランティアということで、費用はもらっていませんが、色々と勉強させてもらっていると思っています。

 

綺麗事だと言われてしまうのかもしれませんが、仕事でもそういう時期があると思います。

それを上手く活用していけるようにするのがスキルなのだと思うので、この経験が他の方へのサービスに上手く活用できるようにつなげたいものです。

 

他にも、ライフオーガナイザーという仕事を自分の仕事をして稼ぐ技術にすることも考えさせられるカンファレンスでした。

 

プロと名乗るからには、サービスの提供に対して対価をいただきます。

でも、自分とクライアントの間に齟齬があれば、それは対等な価格は難しいのが本音です。

ただ、こちらの押し付けにならないように、出来るだけクライアントの気持ちに寄り添う仕事が出来ればいいと心がけています。

それが伝わる様な仕事をしていきたいと思うカンファレンスでした。

LO的 高齢者についての考察

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

早速ですが、義理ママが捨てられない精神の人であり、物を大切にする傾向があります。

それは「もったいない」の精神でもあり、特に戦時中に生まれて、戦後の記憶が子供(記憶の残る年齢)だからこそ、とても物を大切にする傾向があるように思えます。

 

逆に、戦後すでに成人していた場合や、戦後に生まれた場合は物を大切にするけれど、不要な物は持たない気がします。

高齢者のホーダーが増えてきていると言われていますが、子供の時に何もなかった記憶が、ホーダーを作る原因の一つになっているのではないかと思います。

 

そして、「洗濯機」「冷蔵庫」「テレビ」が壊れることを異常に嫌います。

住んでいるところが子供の頃から変わらないこともホーダーの一因ではないかと思うのです。

というのも、その土地に住み、自分で手にしてきたもの、モノのない時代に生まれた自分が自分で手に入れた物、それを手放すなんてと考えたこともないはずです。

 

若い方のホーダーは、片付けられずに残るもの、捨てる判断を誤るもの、同じものを収集してしまうもの、自分の経験が無いために、戸惑って判断ミスもするでしょう。

だから、自己判断基準を知ってもらうことで修正も可能だと思います。

修正ラインを繰り返し、手順を踏んで慣れていく。適応出来るのです。

でも、高齢になると手順を踏んで、新しく取得することは難しいことです。

今までの価値観から抜け出すのは、とても難しく、そのための判断も遅くなることも多くなります。

自分の事が出来なくなる不安と、その不安を周囲が理解してくれない不安で苦しむのです。

「同居」というフォローが今では難しいからこそ、自分の殻に閉じこもってしまう。

 

「大切なモノ」「将来の展望」

ライフオーガナイザーでは重要視される未来が、シニアホーダーには、困惑材料になってしまいます。

 

シニアホーダーには大きく2種あります。

慢性的ホーダーと老化に伴うホーダー。

慢性的ホーダーは、発達障害に付随するもので、もともと片付けが苦手で、それが当たり前の生活だった人が、シニアになった時、周囲とのギャップに気づけず、自分の価値観だけが否定されたことだけが感じられてしまい、周囲が敵に見えて、相手を拒否してしまいます。

老化に伴うホーダーは、若い人との差を体力的に感じてしまうと、今までやれたことが出来なくなってきていることにショックを受けて、イライラして、頭で思うことが解決出来ずに、不満として積もっていくのです。

 

どちらも片付けたいというシグナルを感じたら、出来るだけ受け止めてあげてください。

その後で、本人が出来る範囲のことかを判断します。

場所が無いのに収納家具を買おうとしたり、着ることが出来ない洋服をもらってしまったり。

「欲しい」「もったいない」という感情が先に来て、現状を把握していないと、ホーダーとして立派に溜め込んでいくのです。

 

貯めたら手放す、この選択を自分で出来るということを印象付けて、選んでもらうこともシニアホーダーに取って、いい刺激になるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LO的 ボールペン一つにしても

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

仕事をしていると、お気に入りのペンやクリアファイルなどが仕事のテンションを上げるのに役立ちます。

ただし、会社で用意してくれていると、自分のお気に入りが使いづらい場合があります。

案外見られていて、チェックされたりもしてしまうのです。

仕事の内容によっては、PCのマウスだったり、キーボードだったり、電卓だったり、意外と仕事が捗る筈の道具に踊らされてしまうのです。

 

以前はみんなと同じものを使おうと努力したり、可愛いものを持ってみたり策を練りましたが、ライフオーガナイザーになってからは、気に入ったものを気に入っていますと言って、使うことも私らしくいるために必要だなぁと思うようになりました。

そして、他の人のオススメにもチャレンジする余力が生まれました。人に流されるのではなく、自分が好きなモノと他の人の好きなものを認めること。

それは、みんな違ってみんないいの精神。

相手が自分を受け入れなくても、自分は受け入れればいいし、それだけでいい。

相手にも認めて欲しいと思うのではなく、自分が認めていれば良しとする。

相手にも認めてもらうという行為は一筋縄ではいかないものです。

時間も掛かるし、何より認められたかどうかなんて分からないのです。

そんなことで時間を費やすくらいなら、自分だけが認めて、切り替えて仕舞えばいいのです。

一生一緒に暮らす相手じゃないなら、時間の無駄です。

 

一生一緒に暮らす相手でも、全てを理解し合おうなんて思う事はないのです。

自分以外の人を理解するのは本当に難しい。

それでも、一緒に暮らす相手ならば、理解するというよりも、受け止める姿勢があるかどうかなのかもしれません。

 

受け止めるのも、案外難しいものです。

ただ、一緒にいる時間が長い相手です。

そこは、ほんの少しだけど受け止めてみましょう。

その中で、無理な事は相手と一緒に妥協点を探りましょう。

会話しましょう。

自分の事を伝えましょう。

知って欲しいと強請るのではなく、こうなんだ淡々と説明することが大事です。

相手に自分の思いを話しても、感じ方は相手に依存するしかないのです。

感情論ではなく、お互いの妥協点のために会話しましょう。

会話しないとお互いの距離もわからないし、妥協点を見出す事はできません。

それに、自分の事を伝えようと思うなら、自分を客観的に話す力が必要になります。

感情的にならずに、提案という形で、自分と相手の距離を測る技術でもあるのではないかと思うのです。

 

同じ気持ちにはなれなくても、相手がこう思うんじゃないかと推測して、自分はどこまで相手に寄り添えるか。

私はいつも考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LO的 同居とは精神修行の場でもある

同居するということは、自分以外の誰かが増えるということです。

ライフオーガナイザー Kuraです。

 

生まれてからずっと一緒にいた親は、元々他人であり、祖母もまた、母とは他人でした。

だから、「私」が両親を結び付け、祖母と母親を結び付ける役割を担っていました。

私はそう思っていました。

となると、自分が結婚して、相手の家族と同居した時には、この「自分」の様な結びつけをする相手がいません。

だから、今でも、私は義理ママとは、他人だという思いを持っています。

それが悪いわけではないと思います。

それは、「他人」だからこそ、お互いにドコかで遠慮しているということです。

遠慮するということは、相手の事を考えることにもなります。

自分のラインを決めることにもなります。

互いに踏み込まないラインを作るのも、同居するうえでは大切なことだと思うからです。

むやみに争いに発展させたくはないし、お互いに嫌な思いを持ち続けるのもキツイものです。

その点「他人」と同居していると思うからこそ、「遠慮」ラインがあります。

それが、お互いにいい空気となればいいのです。

何でもオープンに・・・とか、家族だと思って・・・とか、いきなりそれを言われてもお互いにそれは無理だし、これからも無理な話だと思います。

「家族」という枠ではなく、「同居」するという枠で考えるだけでいいので、私にはこちらの方が楽なのかもしれません。

でも、義理ママは義理ママ。

義理でも母親なのです。

そこは「他人」といえども、夫の母親であることを常に忘れてはいけないと思っています。

義理ママのイライラの温度を知るのも、同居のラインの一つでもあります。

表情から体調を読む

動作から感情を読む

気に掛けるトコロは気に掛ける

スルーしていいところはスルーする

この塩梅はとても難しいのですが、それでの他人と同居するに当たって、お互いに嫌な思いをしながら同居するよりも、それなりに気持ちよく同居したいと思うのであれば、どこかしらで妥協は必要だし、その妥協は必要不可欠だと思います。

「ココがいや」

「これがダメ」

ではなくて。

「これはOK」

「まぁ、ここまでなら」

これくらいの気持ちで同居を受け止めることが、自分にも相手にもギリギリのトコロまで我慢したりさせられたりすることはないでしょう。

 

「まぁ、仕方ない」

そう思った方が勝ちだとなぜか勝ち負けで思ってしまいますが、それでもいいので、「まぁいいか」を気持ちの中に必ず持つことが、同居を少しでも気持ちよくするコツではないかと思います。

 

とはいえ、たまには腹も立つし、多分相手もイライラすることでしょう。

そういうときは、相手のイライラに合わせず、自分のイライラだけを取り除くように心がけます。

相手のイライラに感化されてしまわないように、自分のラインをもう一度見て、自分の中のイライラだけを解消する。

それだけでいいと思います。

相手のイライラを解消するのは、相手本人であり、自分には関係がない。

それくらい割り切って、生活することが、精神上いいのではないかと思います。