LO的 そのイライラは必要ですか?
「イライラする」
つい口に出してしまう人も多い、ネガティブアピール。
怒りを伴う場合もあれば、それほどでなくてもつい言ってしまう言葉でもあります。
私は「イライラする」と口に出すと、途端に「イライラ」してしまうので、出来るだけ使わないようにしています。
口にした途端にそんな気持ちになるなんて、テンションが下がること、間違いないからです。
ただ、つい口に出してしまった・・・ではなく、怒りを伴う場合もあります。
そんな時は「イライラする」を「困っている」に置き換えて、一呼吸置いてから考えます。
「イライラする」→「何に?」→「それって困ってるってこと?」
困っていればイライラしていいんです。
困ってなければイライラする時間が勿体ない。
一旦は、これで気分を切り離します。
本当に「困って」イライラする場合です。
私は書きだします。
書きだすなんて綺麗なモノではなく、書きなぐると言った方がいいかもしれません。
もし、一人なら声に出してみるのもいいでしょう。
ただし、叫んだりしてはいけません。
努めて冷静に声に出します。
そして、困っていることに対しての対応策を考えましょう。
不機嫌な人がいる→その人から離れる
その人に近寄らずにいられれば問題ないかもしれませんが、無理な場合は自らが席を外すことで、物理的距離を確保出来ます。
それも無理なら、電話を掛けるのもいいでしょう。
客先との電話の横でバタバタされたら、一言「お客様に電話しているので」と断ることも出来ます。
会話をせずにいられればいいのですが、そうでない場合は「話すべきことをまとめる」のもいい手です。
何度も会話をしたくない場合は、一度の会話で完結したいものです。
その場合は、話の組み立て方、質問事項を自分で計画しておかないと上手くいかないので、その立案をするだけでも気持ちが一旦「イライラ」から離れるので、気持ちが落ち着きます。
同期と仕事内容を比較して「イライラする」。
これは、同期ではなく、自分の中で比較する方向に転換してみましょう。
一年前の自分との比較。
三カ月前の自分との比較。
「イライラ」を「羨ましい」に変換できますか?
それは、自分がそうなりたいと思う成長の気持ちでもあります。
羨ましさの原因を考えてみましょう。
「ママ友がいつも綺麗」
これは自分も綺麗になりたいと思っているのか?
ママ友は綺麗にしているのに、自分は出来ていないからなのか?
ママ友のように綺麗になりたいならそれは憧れであり、真似してみるのもいいと思います。
ただ、そうでないなら、「イライラする」必要は全くないのです。
自分の中で、もう少しこうした方がいいかも・・・と思うところをやってみましょう。
そして、三カ月前はそんなことを思わなかったのなら、三カ月前よりも自分自身に目を向ける余裕が出来たということになります。
一年前はママ友と友達ではなかったかもしれません。
一年の間に自分は新しいママ友と仲良く出来るようになったのは、自分の成長です。
羨ましいトコロを真似する勇気。
そして、羨ましいトコロを考える時間。
自分が生活の中に見つけた余力だと思って欲しい。
そして、自分はダメだなぁなんて思わずに、自分の思う事が出来るようになって欲しいと思います。
ライフオーガナイザーはその人にあった整え方を提供しています。
部屋を綺麗にしたいのに出来ないと思っている方の中には、部屋が片付いているのに、片付いていないと思ってしまっているのかもしれません。
自分の成長が見えなくて、他の人と比較してばかりの人の中には、先週の自分と比べて成長している部分が見えてないことがあるのかもしれません。
そんな発見をお手伝いするのがライフオーガナイザーです。
イライラすることが悪いことではありません。
ただ「イライラする」だけで片づけてしまわず、思考を整理してイライラをキラキラに変えていくのです。
そうすれば「イライラ」は整理出来ない感情ではなくなるのです。
LO的 ストレスサインを見逃さない
私は、唇の皮をむやみにめくる癖があります。
これが、痛みに対する心のよりどころでもあったのです。
考え込むと髪の毛を引っ張る。
体に出来た外傷(青あざ、口内炎など)をむやみに触る。
痛覚を何度も繰り返すのです。
自殺のサインの一つとして、「抜毛症」という行為があります。
絶対にするという意味ではありませんが、心が病む時に出てしまう行動の一つだと言われています。
これは無意識の行動です。
そして、癖になるとしないと落ち着かなくなってしまうのです。
痛みの時に出る「オピオイド」という分泌物質が関係します。
物理的痛みによって、脳内の神経を保護しようと無意識で行う行為なのです。
この「オピオイド」は麻薬に似た成分です。
「痛み」は物理的だけでなく、精神的な場合もあり、精神的痛みを麻痺させるために物理的に痛みを感じる方法を取る。
心が傷つくと、体を傷つける・・・と言うわけです。
自暴自棄になると言うのは、精神的痛みから逃れるために体に圧をかける行為なのでしょう。
不眠、過眠、食欲減退、食欲増進、周りへの興味をなくす、自分への興味を失くすなど、精神的ストレスを体で表現していると言えます。
先に書いた癖が出てきたら、ストレスがたまっているのだと自分で認識出来ます。
ストレスは知らないうちに溜まります。
サインを見逃すな。
これは、自分を守るための大切なことなのです。
LO的 本の楽しみ方
昔から本が好きだった。
と言っても、知識だけが無駄に増えて、勉強を脳に入れられなかっただけで、難しい本を読むのが好きだっただけなのかもしれない。
児童文学よりも推理小説。
そして古事記や日本史。
小学校の図書室が好きだったけれど、読む本は偏っていたし、意地になって本を読んでいたに過ぎなかったと今は思う。
そんな中でも、私の癖は気に入った本は繰り返して借りたこと。
気に入ったシリーズがあれば、それを読破するために、一日一冊のペースで読み切ろうとすること。
飽きたと思っても、また読みたくなる。
きっと、自分の人生が思い通りに行かないと分かっていたから、本の中のストーリーで楽しんでいたのかもしれないと今は思う。
学校に対して違和感を感じていた頃だからこそ、図書館で読む本は私を違和感から解放することが出来ていたんだと。
好きなモノを好きなだけ、思い、邪魔されないこと。
これが満たされていれば、人は自分を見失わないような気がします。
趣味が合った方がいいというのは、そういう事なのかもしれません。
ライフオーガナイザーになって、私は自分の本に対するルーティンがあることに気付いたのです。
読む → 気に入る → 収集 → 満足 → 売る → 思いだして読む・・
本はかさばるので、処分して、また買いかえる。
これを経済の一環とみなすか、無計画とみなすか。
難しいトコロです。
LO的 自分らしく居るための努力
仕事をするうえで、一番気に掛けていることが「争わない」ことです。
こう書いてしまうと、不満が合っても言わないんじゃないかと思われそうですが、そうではありません。
ただ、今まではなるべく穏便に済まそうと考えてきました。
穏便・・・いや、巻き込まれないようにですね(笑)
でも、何も云わないから巻き込まれることも多々あります。
だからといって、相手に対して何か言わなくてはいけないと思うのはいけないことだと思っていたのかもしれません。
ただ、ここ数年は、自分の意見を言うように心がけています。
意見がぶつかることは仕方がないことです。
それでも、自分がどう考えているのかを話すことが決して「争う」ことにつながるわけではないと分かったからです。
「思ったこと」ではなく、「考えたこと」。
ここが大切なトコロです。
考えるということは、道筋と結論を自分なりに持つと言う事です。
思うと言うのは、思いついたこととも言えるのです。
以前の私は、思いついたことをポンポンと口にしてしまい、相手の感情を逆なですることも多く、それが仕事にも影響が出ることがありました。
自分の感情、自分の思いだけで、相手と話しても、キャッチボールにすらならない。
「思い」ではなく「意見」として伝えられれば良かったなぁと今は後悔しています。
「意見」として、自分の考えを伝えることが出来れば、相手も考えの一つとして受け止めてくれたのではないか。
でも「思い」をぶつけたことで、相手の思いを受け入れられずに、相手にも受け入れてもらえなかったのではないか。
「意見」を言うためには、自分の軸がブレないようにしないと言えません。
ライフオーガナイザーになって、自分が片付ける上で、どうしても譲れないラインが見えました。
そして、そのラインがブレないことが、生活に余力をもたらすことも実感しています。
LO的 同居について考える5
まずは、同居する前に、メリットとデメリットを一生懸命考える。
考えて考えて、パートナーと一生懸命相談することをお勧めします。
ここでいう「メリット」「デメリット」は自分だけでなく、家族に対するものです。自分における「メリット」「デメリット」はすぐ出てくるかもしれませんが、家族に対する場合は、すぐには出てこないかもしれませんが、ソコは一生懸命考えましょう。
私の場合は、私のデメリットしか思い浮かびませんでした(笑)
デメリットと言うよりも、不安要素ですね。
同居した場合、私は義母からどんな立場を求められるのかが分からなかったのです。
「主婦」として居て欲しいのであれば、今フルタイムで働いていることが出来なくなります。
それは、私が同居をOKする条件に当てはまりません。
同居する場合はどうする?と夫から聞かれた時、まずは「新築」を条件としました。
家を建てるということは、簡単なことではないので、まず、その条件をクリアしないと私は同居の話しあいをしないと言ったのです。
夫は納得してくれました。
そして「新築」となると、夫一人にローンを背負わせたくないと言いました。
それは、私にも収入が必要ということです。
特別、働きたいわけではなかったけれど、働くならきっちり働きたい。
私の希望でした。
空いた時間にパートに出るというのは、私の選択肢にはなかったのです。
「働かない」「フルタイムで働く」のどちらか・・・
実家では「働かざるもの食うべからず」が暗黙の了解でした。
学生時代はそうではなかったのですが、働き出してからはそれが当たり前だったこともあり、「パートタイマー」という選択肢がすっぽりと抜け落ちたのです。
また、働くならそれなりに仕事にやりがいも欲しいと思っていたので、パートやアルバイトではやりがいのある仕事に就きにくいということもありました。
もちろん、夫の扶養に入るなんて思わないので、出来るだけ時給もよく、仕事のやりがいも求めていました。
こんな感じですから、同居して「主婦」して欲しいと言われたら無理だなぁと思っていたのです。
でも、義母もまだまだ動けるので、何も考えずフルタイムで働くことが出来ています。
夫が私が仕事を続けることに対して理解をしてくれて、良かったと思います。
それまで別々に暮らしていた二つの生活スタイルがいきなり寄り添うのは難しいことです。
二つの生活スタイルを紐づける何かが必要でした。
私たちは「夫」が紐づけでした。
夫という後ろ盾があったからこそ、同居が出来ています。
今、私は夫の母親と妹と同居しているので、後ろ盾として夫がいます。
夫の考え方と立ち位置が、同居の良しあしを左右するのです。
でも、出来れば同居はおススメしません。
出来るだけ抗って欲しいと思います。
ただし、いつでも連絡出来ると言う敷居の低さを持って、時々は顔を見せるくらいが今は安心出来るのかもしれません。
同居のメリットが「介護」でしかないなら特にそう思います。
「介護」は自分で出来る範囲は自分で決めることが出来ないと負担が増えるばかりです。
「介護」は当たり前と思わずに、自分が出来る範囲を相談して、それが同居でないと出来ないのであれば、同居するメリットはあると思いますが、同居しなくても「介護」出来るのであれば、同居するメリットにはなりません。
むしろ、お互いに冷静になれる場所を作る意味でも、別居の方がメリットがあります。
そして、孫がかわいいというのもありますが、孫は大きくなります。
数年で自分たちの世界を構築していくのです。
未成年とはいえ、意思をもって行動していくのです。
ソコには、親も祖父、祖母も入れないことがあります。
それも理解して、同居を考えて欲しいと思います。
いつまでも可愛いだけの孫でいる期間は少ない・・・のです。
2世帯、2.5世帯といったハウスメーカーの戦略もあるかと思いますが、自分たちの人生の半分以上を過ごす場所です。
今だけでなく、10年後、20年後を想像して、一生懸命考えることをお勧めします。